エドワード・デニソン・ロス
サー・エドワード・デニソン・ロス(Sir Edward Denison Ross、1871年6月6日 - 1940年9月20日)は、イギリスの東洋学者、アジアの諸言語を専門とした言語学者。49の言語を読むことができ、そのうち30言語を話すこともできた。イギリス情報部近東局 (the British Information Bureau for the Near East) の局長を務めた。
経歴
[編集]ロスはロンドンに生まれ、モールブラ・カレッジからロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに進んだ[1]。フランスに留学してパリやストラスブールに学び、1894年にストラスブール大学からペルシア語研究により博士号を得て帰国し、1896年にユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンでペルシア語の教授となった[1]。
1901年、カルカッタ・マドラサ・ムスリム・カレッジ (Calcutta Madrasah Muslim College) の校長となり、以降、当時のカルカッタ(コルカタ)で教育行政に関わり、また当地でサンスクリット語、中国語、チベット語なども習得した[1]。
1914年、インドから帰国したロスは大英博物館のスタッフの一員となり[1]、サー・オーレル・スタインのコレクションのカタログ作成を命じられた[2]。
ロスは、ロンドン大学の東洋研究学院(School of Oriental Studies:後の東洋アフリカ研究学院)の初代院長を、1916年から1937年にかけて務めた[3][4]。院長としてのロスは、第一次世界大戦の戦時下に開設されたばかりで、財政的にも困難を抱えていた東洋研究学院を、二度にわたる移転を経て存続発展させることに大いに寄与した[1]。この間、1926年から1931年にかけて、ジョージ・ラウトレッジ・アンド・サンズから刊行された26巻のシリーズ『The Broadway Travellers』の執筆と編集を、アイリーン・パワーとともに務めた[5][6]。このシリーズには、17世紀の海軍の従軍牧師ヘンリー・トンジの日記も含まれていた。1934年、エドワード・デニソン・ロスは、テヘランで開催されたフェルドウスィー千年祭に出席した。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “SOAS History: Sir Edward Denison Ross”. SOAS (2015年4月14日). 2018年6月15日閲覧。
- ^ Ross's archives are held at the School of Oriental and African Studies, London.http://archiveshub.ac.uk/data/gb102-ppms8
- ^ Galambos, "Touched a Nation's heart: Sir E. Denison Ross and Alexandre Csoma de Koros" Journal of the Royal Asiatic Society (Third Series) 21.3 (2011): 366
- ^ A photograph of Ross teaching Persian at SOAS
- ^ “The Broadway Travellers”. Routledge. 2018年6月15日閲覧。
- ^ Current Biography 1940 p.697
関連文献
[編集]- "Sir Edward Dennison Ross (1871 - 1940): A Persian Scholar and Orientalist Par Excellence" by R M Chopra, INDO-IRANICA, Vol.LXVI, Nos.1 to 4, 2013