エドワード・ジョンソン3世
エドワード・ジョンソン3世(Edward Johnson III、ネッド・ジョンソン1930年6月29日- 2022年3月23日[1])は、エドワード・ジョンソン2世の息子。フィデリティ・インベストメンツを実の娘アビゲイル・ジョンソンと経営する投資家である[2]。
ハーバード大学卒業。ステート・ストリートでキャリアを積んだが、1957年に父親のフィデリティへ移り、1972年に会長となった[3]。1961年、父親からフィデリティ・トレンド・ファンドを任されたが、3年ほどかけて運用成績でジェリー・ツァイを超えた。この成長株ファンドは1996年から娘のアビーが運用責任者である。
ネッド会長は1974年夏までマネー・マーケット・ファンド開発を指揮した。このとき社内で活躍した人物が二人いる。
一人目はジョシュア・バーマン(Joshua Mordecai Berman、1938-)である。1958年にニューヨーク市立大学シティカレッジを、1961年ハーバード・ロースクールをそれぞれ卒業。Goodwin, Procter & Hoar 法律事務所へ就職、1969年からパートナーへ昇格して1980年まで務めた。1970年から3年ほどTyco International の会長・社長を務めた。1971年からフィデリティの顧問であった。[4][5]
二人目がパトリシア・オストランダー(Patricia Ostrander)である。パデュー大学を卒業後、1959年にラドクリフ・カレッジとハーバード・ビジネス・スクールの合同課程Harvard-Radcliffe Program in Business Administration を履修した。ABNアムロ系列のLaSalle National Bank へ入行、1969年にフィデリティへ入社した。債券に強い人材であったので、ドレクセル・バーナム・ランベールのマイケル・ミルケンと密接な関係ができた。[6]
同じころ、一人の職人がフィデリティの通信網を世界展開した。マサチューセッツ工科大学のサミュエル・ボドマン教授である。1983年にフィデリティの最高執行責任者となった。4年後にフィデリティを去り、カボット・コーポレーションへ移った。その後、デュポン役員を経て2005年から4年間アメリカ合衆国エネルギー長官を務めた。
ネッド会長は1978年に優秀なスポークスマンを得た。リチャード・バーテルセン(Richard Bertelsen)である。ハーバード大学を卒業後、老舗の出版社Little, Brown & Company で働いていた。享年42歳。[7]
脚注
[編集]- ^ Murphy, Andrea. “Mutual Fund Billionaire Edward “Ned” Johnson III Dies At 91” (英語). Forbes. 2022年3月25日閲覧。
- ^ フォーブスの発表による世界長者番付の2006年度版において、世界で第57番目の長者に選ばれている。また、2013年度版においては、第166番目に選ばれている。
- ^ "FMR Corp. History", International Directory of Company Histories, Vol. 32. St. James Press, 2000.
- ^ Prabook Joshua Mordecai Berman Retrieved 2017/2/15
- ^ タイコは1997年にAT&Tの海底ケーブル部門を買収した。
- ^ ニューヨーク・タイムズ A Straight Arrow's Inexplicable Fall Published: March 24, 1991
- ^ NewYorkTimes Richard Bertelsen, Fidelity Spokesman And Chronicler, 42 Published: October 9, 1993.