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エドワード・ウォード (第4代バンガー子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第4代バンガー子爵エドワード・ウォード英語: Edward Ward, 4th Viscount Bangor1827年2月23日 ロンドン1881年9月14日 ブライトン)は、アイルランド貴族保守党に属し、1855年から1881年までアイルランド貴族代表議員を務めた[1]

生涯

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第3代バンガー子爵エドワード・サウスウェル・ウォードと妻ハリエット・マーガレット(Harriet Margaret、1805年2月16日[2] – 1880年7月4日、第6代ファーナム男爵ヘンリー・マクスウェルの娘)の息子として、1827年2月23日にロンドンで生まれた[1]。1837年8月1日に父が死去すると、バンガー子爵位を継承した[1]イートン・カレッジで教育を受けた後[3]、1845年11月19日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1848年にM.A.の学位を修得した[4]

1855年1月9日にアイルランド貴族代表議員に当選[5]、1881年に死去するまで務めた[6]貴族院では保守党に属し[1]、保守党のクラブであるカールトン・クラブ英語版にも加入した[3]。1857年5月22日、ダウン県副統監に任命された[7]

1876年時点でダウン県に9,861エーカーの領地を所有し、年収13,156ポンド相当だった[3]

1881年9月14日に生涯未婚のままブライトンで死去、弟ヘンリー・ウィリアム・クロスビー英語版が爵位を継承した[1]

出典

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  1. ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 413.
  2. ^ Lodge, Edmund (1834). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語). London: Saunders and Otley. p. 190.
  3. ^ a b c De Burgh, U. H. Hussey (1878). The Landowners of Ireland (英語). Dublin: Hodges, Foster, and Figgis. p. 19.
  4. ^ "WARD, EDWARD, VISCOUNT BANGOR. (WRT845E)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  5. ^ "No. 21650". The London Gazette (英語). 12 January 1855. p. 130.
  6. ^ "No. 25036". The London Gazette (英語). 11 November 1881. p. 5495.
  7. ^ "No. 6705". The Edinburgh Gazette (英語). 29 May 1857. p. 502.
アイルランドの爵位
先代
エドワード・サウスウェル・ウォード
バンガー子爵
1837年 – 1881年
次代
ヘンリー・ウォード英語版