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エドムント・クノル=コヴナツキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エドムンド・クノル=コヴナツキ

エドムント・クノル=コヴナツキ(Edmund Knoll-Kownacki, 1891年7月24日 - 1953年9月2日)は、ポーランドの軍人。准将。

ロシア帝国(現在のポーランド・マゾフシェ県プウォニスク英語版郊外で生まれる。モスクワ大学と農業大学で学ぶ。1912年から1913年までロシア帝国軍に勤務。1913年から銃兵同盟員。1914年8月の第一次世界大戦勃発と共に、オーストリア=ハンガリー帝国軍のポーランド軍団に入隊し、小隊長となる。1914年10月から騎砲中隊、後に大隊を指揮。1917年の軍団解散後、ベンヤミノフに抑留。

1918年4月、ポーランド軍に入隊。1919年9月から砲兵下士官学校長。ポーランド・ソビエト戦争に従軍し、第1砲兵旅団長、後に歩兵旅団長となる。1921年1月から国防省第1局砲兵班長。1921年9月から第7軍団区(ポズナン)砲兵部長。1924年、フランスの高等軍事学校を卒業。1925年1月から第13歩兵師団を指揮。1935年2月から第7軍団区司令官。

ドイツ軍のポーランド侵攻時、1939年9月3日、クノル=コヴナツキの指揮下に「クノル」作戦群が編成された。9月6日からクノル作戦群は「ポズナン」軍の編成下に入った。部隊撃破後、ワルシャワに退却し、首都の防衛に参加した。捕虜となる。

1945年、米英軍により解放。同年、西側の第2ポーランド軍団に加わる。終戦後、イギリスに移民。