エドゥアール・モイーズ
エドゥアール・モイーズ Édouard Moyse | |
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自画像 | |
生誕 |
1827年11月27日 フランス,ナンシー |
死没 |
1908年6月1日 フランス,パリ |
エドゥアール・モイーズ(Édouard Moyse、出生した時の名はÉdouard Abraham、1827年11月27日 - 1908年6月1日)はフランスの画家である。ユダヤ人の生活などを題材に描いた画家である。
略歴
[編集]ナンシーに生まれた。父親は商人のモイーズ・アブラーム(Moyse Abraham)でモイーズは父親のファーストネームを姓とした。[1]パリに出て、フランス国立高等美術学校でミシェル・マルタン・ドロランに学び、18歳になった1882年にサロン・ド・パリに出展し、銀賞を受賞した。
1880年代から、ユダヤ人に関する題材の絵画を描き始めた。ユダヤ教でも「偶像崇拝」が禁じられていた中で、フランスではモイーズと同い年のエドゥアール・ブランドン(Édouard Brandon)や15歳ほど若い、アルフォンス・レヴィ(Alphonse Lévy)らがユダヤの美術の先駆けとなった。[2]ドイツでは、オッペンハイム(Moritz Daniel Oppenheim:1800-1882)が最初のユダヤ人画家とされ、ポーランドにはマウリツィ・ゴットリープ(Maurycy Gottlieb:1856-1879)らがいた。
生涯を通じて、フランスにおけるユダヤ人の歴史の重要なエピソードやユダヤ人の生活を題材とした。1870年にユダヤ人慈善家、Herz Cerfbeer of Medelsheim はモイーズを「ラビの画家」(le peintre des rabbins)と評した[3]。
描いた題材には、ナポレオンがユダヤの戒律とナポレオン憲法(共和暦12年憲法)とを問うために1807年に召集した大サンヘドリンを描いたものなどがある。
作品
[編集]脚注
[編集]- ^ Acte de naissance de Édouard Moyse, Archives municipales de Nancy.
- ^ Terme d’usage courant au
XIXqui désignait en France jusqu’à la deuxième guerre mondiale les juifs considérés comme intégrés dans le jeu des institutions. - ^ Notice biographique de l’Hôtel Drouot.
参考文献
[編集]- Jean Bernheim, Édouard Moyse ou la peinture israélite (1827-1908), Paris, Éditions Esthétiques du divers, mai 2012 (ISBN 978-2-95-33041-3-8).
- Musée d’art et d'histoire du Judaïsme, Les Juifs dans l’Orientalisme, Paris, Skira Flammarion, 2012.
- Dominique Arasse, Existe-t-il un art juif ?, Paris, Éditions Biro, septembre 2006.