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エディ・ジョージ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エディー・ジョージから転送)
エディ・ジョージ
Eddie George
テネシー州立大学
ヘッドコーチ
ポジション ランニングバック
生年月日 (1973-09-24) 1973年9月24日(51歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州の旗ペンシルベニア州フィラデルフィア
身長: 6' 3" =約190.5cm
体重: 240 lb =約108.9kg
経歴
大学 オハイオ州立大学
NFLドラフト 1996年 / 1巡目全体14位
初出場年 1996年
初出場チーム ヒューストン・オイラーズ
所属歴
選手歴
1996-2003 ヒューストン・オイラーズ
テネシー・オイラーズ
テネシー・タイタンズ
2004 ダラス・カウボーイズ
コーチ歴
2021- テネシー州立大学
受賞歴・記録
オールプロ選出(1回)
2000
プロボウル選出(4回)
1997, 1998, 1999, 2000
その他受賞・記録
NFL 通算成績
通算ラッシングヤード 10,441ヤード
平均 3.6ヤード
TDラン 68回
レシーブ 268回
レシーブ獲得ヤード 2,227ヤード
TDレシーブ 10回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

エディ・ジョージ(Edward Nathan George, Jr.、1973年9月24日 - )は、NFLで活躍した元アメリカンフットボール選手。アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。ポジションはランニングバック

大型のパワーRBだったことで「ザ・ビースト」のニックネームで呼ばれていた[1]1999年シーズンにはQBスティーブ・マクネアと共にチームを牽引し、チーム初のスーパーボウル進出を果たした[2]マッデン2001のカバープレイヤーに選ばれている[3]

経歴

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プロ入りまで

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オハイオ州立大学に入学、1年次のシラキューズ大学戦では3TDをあげる活躍を見せたが、イリノイ大学戦では敵陣4ヤードラインでファンブル、これが96ヤードのファンブルリカバーTDにつながってしまった。さらに2点をリードした第4Q、敵陣1ヤードラインでファンブル、これが相手の逆転TDにつながった。その試合まで25回のキャリーで5TDをあげていたが、それ以降12回のキャリー、TDなしに終わった。レイモント・ハリスの控えとして、彼の出場は、試合終盤大量リードした場面での起用などに限られるようになり、42回のキャリーに終わった。3年次には先発RBとなり、1,442ヤードを獲得、12TDをあげた。

4年次の1995年には大学記録となる1,927ヤード(平均152.2ヤード)を獲得、24TDをあげた。また44回のレシーブ(過去3年間でわずか16回のレシーブであった。)で399ヤードを獲得、1TDをあげた。ノートルダム大学ではシーズン3回目となる200ヤードラッシュを記録、イリノイ大学戦では大学記録となる314ヤードを走って3TDをあげた。この年チームは10勝2敗の成績をあげた。彼はオールアメリカンファーストチームに選ばれるとともに、ハイズマン賞を受賞した[4]

1996年のNFLドラフトでヒューストンオイラーズ(現テネシー・タイタンズ)から1巡全体14位で指名された。ルーキー年から5年連続で1,200ヤード以上を記録し、キャリア9年のうち7シーズンで1,000ヤードラッシュを記録した。またルーキーから8年間は一度も欠場はなく、8年連続300キャリーというリーグ記録を打ち立てた[5]。1997年から2000年まで4年連続プロボウルに選出、第34回スーパーボウルにチームを導いた。スーパーボウルでは95ヤードを走り、2回のレシーブで35ヤード、2TDをあげたが、16-23でセントルイス・ラムズに敗れた。

2003年通算10,000ヤードを達成したが、デビューから1試合も欠場せずに記録を達成したのは、ジム・ブラウン以来史上2人目のことであった。またRBとして128試合に連続先発出場したが、この記録を上回るのはウォルター・ペイトンの170回のみである[6]

2004年7月21日、サラリーキャップを開けるため、タイタンズから放出され、7月23日にダラス・カウボーイズと1年契約を結んだ。カウボーイズでは先発はわずか8試合、432ヤードの獲得に終わった。2005年シーズン前に引退を表明した。

現役通算でラン10,441ヤード、68TD、268回のレシーブで2,227ヤード、10TDをあげた。

タイタンズ時代の通算ラン10,009ヤードはチーム歴代トップである[7]

2007年にはFOXスポーツBCSナショナル・チャンピオンシップ・ゲームの試合前に放送された番組で解説を務めた。また同年全米で公開されたゲーム・プランカメオ出演している。同年4月28日には、背番号27をつけて、LPフィールドの周囲がコースのハーフマラソンに出場、2時間4分8秒の記録だった。後にジョージは、NFLの試合よりタフだったと語った。

2008年アメリカ合衆国大統領選挙ではバラク・オバマ上院議員を支持することを表明した[8]

2011年、カレッジフットボール殿堂に選ばれた[9]

2012年のNFLドラフトではタイタンズの元選手として招待され[10]、タイタンズの2巡指名選手を発表した。

2019年9月15日にインディアナポリス・コルツを迎えて実施されるホームでの初戦でセレモニーを行い、スティーブ・マクネアの9番とエディ・ジョージの27番を永久欠番にするとタイタンズが6月12日に発表した[11]

人物

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パスプレーでは、相手ディフェンスのブリッツを止めることに長けていた[7]

ジョージの母親はフライトアテンダントであり、ジョージが1996年7月にオイラーズと契約するため、フライトの予定を変更した(ジョージの代理人の提案による)。その結果、母親は当初乗務する予定だったトランス・ワールド航空800便に乗らないこととなり、命を取り留めた[12]

前妻との間に息子が1人、SWVのメンバー、タージとの間に息子が1人いる。

タイタンズの本拠地、LPフィールドからカンバーランド川の対岸、ナッシュビル市内と(Eddie George Sports Grille)、母校オハイオ州立大学のそば、コロンバスに(Eddie George's Grille 27)スポーツをテーマとしたレストランを開いている。

1995年に彼が受け取ったハイズマントロフィーニューヨークの空港でのX線検査で損傷した。

年度別成績

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チーム 試合数 ラン回数 ヤード 平均 TD
1996 ヒューストン・オイラーズ 16 335 1,368 4.1 8
1997 テネシー・オイラーズ 16 357 1,399 3.9 6
1998 テネシー・オイラーズ 16 348 1,294 3.7 5
1999 テネシー・タイタンズ 16 320 1,304 4.1 9
2000 テネシー・タイタンズ 16 403 1,509 3.7 14
2001 テネシー・タイタンズ 16 315 939 3.0 5
2002 テネシー・タイタンズ 16 343 1,165 3.4 12
2003 テネシー・タイタンズ 16 312 1,031 3.3 5
2004 ダラス・カウボーイズ 14 132 432 3.3 4
通算 142 2865 10441 3.6 68

脚注

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  1. ^ ビル・マークレビッツ. “「エディー・ジョージ "THE BEAST"」”. NFL JAPAN. 2012年8月15日閲覧。
  2. ^ 懐かしのレジェンド集結! ~タイタンズ~”. NFL JAPAN (2012年6月9日). 2012年8月15日閲覧。
  3. ^ マッデン2001 スーパーボウル”. EAスポーツ. 2012年8月15日閲覧。
  4. ^ チーム別ドラフト成功トップ5 -タイタンズ-”. NFL JAPAN (2013年4月11日). 2013年4月14日閲覧。
  5. ^ プレイヤーリスト”. NFL.com. 2012年8月15日閲覧。
  6. ^ About Eddie”. eddiegeorge.com. 2012年9月9日閲覧。
  7. ^ a b Chad Minton (2011年2月2日). “Tennessee Titans: The 20 Best Offensive Players In Oilers/Titans History”. bleacherreport.com. 2013年4月14日閲覧。
  8. ^ Obama Looks to Score Big”. ウォール・ストリート・ジャーナル (2008年2月27日). 2012年9月9日閲覧。
  9. ^ College Football Hall tabs Class of 2011”. ESPN (2011年5月17日). 2012年9月9日閲覧。
  10. ^ Evans Silva (2012年4月23日). “NFL alumni to announce second-day draft picks”. NBCスポーツ. 2012年9月9日閲覧。
  11. ^ スティーブ・マクネアとエディー・ジョージがタイタンズの永久欠番に”. NFL JAPAN (2019年6月13日). 2019年7月9日閲覧。
  12. ^ Agent's Persuasion Kept Heisman Winner's Mother Off Doomed Airliner”. texnews.com (1996年8月10日). 2012年9月9日閲覧。

外部リンク

[編集]