エスタディオ・ラティーノアメリカーノ
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エスタディオ・ラティーノアメリカーノ Estadio Latinoamericano | |
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施設データ | |
所在地 |
キューバ ハバナ |
座標 | 北緯23度7分6秒 西経82度22分34秒 / 北緯23.11833度 西経82.37611度座標: 北緯23度7分6秒 西経82度22分34秒 / 北緯23.11833度 西経82.37611度 |
開場 | 1946年10月26日 |
所有者 | キューバ政府 |
グラウンド | 天然芝 |
建設費 | 約200万ドル |
旧称 | |
グラン・エスタディオ・デ・ラ・アバナ(1946 - 1961) | |
使用チーム • 開催試合 | |
CNS / レオネス・デ・インダストリアレス(1962 - ) CNS / ゲレーロス・デ・メトロポリタノス(1974 - 2012) | |
収容人員 | |
31,000人(開場時) 、55,000人(1971年) | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
両翼325フィート(約99.1メートル) 中堅400フィート(約121.9メートル) |
エスタディオ・ラティーノアメリカーノ(Estadio Latinoamericano)は、キューバの首都ハバナにあるスタジアム。1946年にオープンして以来、主に野球に使用されており、キューバ国内野球リーグセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル所属の名門チーム、レオネス・デ・インダストリアレスの本拠地である。ラテンアメリカの野球場の中では最大の収容人数55,000人を誇る[1]。
ボビー・マドゥーロが約200万ドルを出して構築を支援し、1946年10月26日に開場した。当初はグラン・エスタディオ・デ・ラ・アバーナ(Gran Estadio de La Habana)の名称で呼ばれた。1954年創設のマイナーリーグのハバナ・シュガーキングスが本拠地球場として使用していた。1961年にプロリーグリーガ・クバーナ・デ・ベイスボルが廃止され、球場の名称も現在のものに変更された。
1956年にはフルヘンシオ・バティスタ政権の独裁に反対してホセ・アントニオ・エチェベリア率いる学生デモが行われた場所でもある。人気ダンサーの公演やボクシングの試合を含む、多様な目的に利用されている。1971年に改修され、55,000人の観客を収容することが可能になった。
1999年3月28日にボルチモア・オリオールズ対キューバ代表の親善試合が開催され、フィデル・カストロ国家評議会議長がボルチモア・オリオールズのピーター・アンジェロスオーナーとMLBのバド・セリグコミッショナーの間に座り、ボックス席で観戦した。
脚注
[編集]- ^ “El estadio Latinoamericano cumple 62 años de historia beisbolera y cultura nacional cubana” (スペイン語). BaseballdeCuba.com. 2013年4月11日閲覧。