エウラリア・デ・ボルボーン
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エウラリア・デ・ボルボン Eulalia de Borbón | |
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ボルボン家 | |
出生 |
1864年2月12日 スペイン王国、マドリード王宮 |
死去 |
1958年3月8日(94歳没) スペイン、イルン |
埋葬 |
1958年3月12日 スペイン、サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル、エル・エスコリアル修道院 |
配偶者 | ガリエラ公アントニオ・デ・オルレアンス・イ・ボルボーン |
子女 |
アルフォンソ ルイス・フェルナンド |
父親 | フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン |
母親 | スペイン女王イサベル2世 |
マリーア・エウラリア・フランシスカ・デ・アシス・マルガリータ・ロベルタ・イサベル・フランシスカ・デ・パウラ・クリスティーナ・マリーア・デ・ラ・ピエダ・デ・ボルボン(スペイン語: María Eulalia Francisca de Asis Margarita Roberta Isabel Francisca de Paula Cristina María de la Piedad de Borbón, 1864年2月12日 - 1958年3月8日)は、ガリエラ公アントニオの妻。スペイン女王イサベル2世と王配フランシスコ・デ・アシスの末娘。
生涯
[編集]マドリード王宮で誕生。1868年、革命のため一家でフランスへ亡命。1874年、兄アルフォンソ12世が即位したため、1877年に一家で帰国。最初は母イサベルとエル・エスコリアル修道院に住んだが、のちセビーリャのアルカサルへ移り、その後マドリードへ戻った。
1886年3月9日、従弟にあたるガリエラ公アントニオと結婚。前年に兄アルフォンソ12世が急死したため、予定より7ヶ月遅れて挙式が行われた。2人の間には2男1女が生まれた。
- アルフォンソ(1886–1975) - ガリエラ公。ザクセン=コーブルク=ゴータ公女ベアトリスと結婚。
- ルイス・フェルナンド(1888–1945) - 1924年、フランスで麻薬の密輸に関わったため国外追放を受け、アルフォンソ13世によって王族特権を剥奪された。
- ロベルタ(1890)
ルイス・フェルナンドの誕生後、エウラリアは夫と別居し、スペインとパリで暮らした。親戚・縁戚と頻繁に連絡を取り合いながら、王室の暴露本を数冊書いた作家でもあった。
1958年、心臓発作のため亡くなり、エル・エスコリアル修道院へ埋葬された。