エイヴォン川 (カンタベリー)
エイヴォン川 Avon River / Ōtākaro | |
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エイヴォン川の艇庫、クライストチャーチ | |
延長 | 14 km |
水源 | エイヴォンヘッド |
河口・合流先 |
ペガサス湾 (エイヴォン・ヒースコート河口域) |
流域 |
ニュージーランド カンタベリー地方 |
エイヴォン川(エイヴォンがわ、英語: Avon River / オタカロ、マオリ語: Ōtākaro)は、ニュージーランドの南島、 カンタベリー地方に位置するクライストチャーチの街の中心部を流れており、河口(三角江)は、ヒースコート川と同じくするエイヴォン・ヒースコート河口域である。
水路
[編集]エイヴォン川は、エイヴォンヘッドの西の郊外にある水源からクライストチャーチに通じる、イラム、リッカートン、フェンドルトンを経て、ハグレイ公園、そして中央ビジネス地区 (CBD) を抜ける蛇行した川筋が続く。
中央ビジネス地区 (CBD) の東側は、エイヴォンサイド、ダリントン、エイヴォンデール、アラヌイを通って、最終的にサムナー付近のエイヴォン・ヒースコート河口域(マオリ語: Te Wahapū[1]) を経て太平洋に流れ込む。
名称
[編集]エイヴォン川は、オタカロ (Ōtākaro)[2]、 もしくは Putare Kamutu として[3]、マオリにより知られた。カンタベリー協会は、その川をシェイクスピアと呼称する計画を立てていた[4]。川はスコットランドのエイヴォン川にちなんで、1848年にジョン・ディーンズによって現在の名前が与えられた[5]。ディーンズ家は、現在のリッカートンの郊外に位置するエイヴォン川の近くに家屋敷を建てた。
その名称は、ナイ・タフ条約規定に基づいた多くの変更の1つとして、Ngai Tahu Claims Settlement Act 1998 において、エイヴォン川 / オタカロ (Avon River / Ōtākaro) へと正式に変更された[6]。
パント舟
[編集]観光の呼び物としての商業用パント舟は、セントラル・シティ、ハグレイ公園およびフェンドルトンの公園モナ・ベールにおいて利用することができる[7]。
地震
[編集]セントラル・シティからエイヴォン川下流沿いの多くの土地は、2010年のカンタベリー地震とそれに続く2011年2月の地震および同年6月の地震において被害を受け、カンタベリー地震復興庁 (CERA) により赤の特別区域(レッド・ゾーン)に指定されている。地域団体は、その赤の特別区域に指定された土地を、河口とセントラル・シティを結ぶ公園に変えようと働きかけている[8]。そのキャンペーンは、エイヴォン-オタカロ・ネットワーク(Avon-Otakaro Network, AvON) と称されるグループにより進められ、市長ボブ・パーカーの支持を受けている[9] 。
脚注
[編集]- ^ Estuary, Christchurch City Libraries, New Zealand.
- ^ Ōtākaro, Christchurch City Libraries, New Zealand.
- ^ Rev. John Dickson, History of the Presbyterian Church of New Zealand, Archive.org.
- ^ Early name for Avon, Te Ara, New Zealand.
- ^ Hight, James; Straubel, C. R. (1957). A History of Canterbury : to 1854. I. Christchurch: Whitcombe and Tombs Ltd. p. 121
- ^ “Schedule 96 Alteration of place names”. New Zealand Legislation. 24 June 2012閲覧。
- ^ Avon River Punting, New Zealand.
- ^ “Support for Avon River reserve plan”. The Press. (10 November 2011) 24 June 2012閲覧。
- ^ Mathewson, Nicole (1 December 2011). “Mayor backs Avon River Park Campaign”. The Press: p. A7
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Avon River Masterplan, Christchurch City Council