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ウラジーミル・ポロンスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウラジーミル・イヴァノヴィチ・ポロンスキー
Владимир Иванович Полонский
1984年のソ連の絵封筒より
生年月日 (1893-06-17) 1893年6月17日
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国トボリスク県トボリスク郡トボリスク
没年月日 (1937-10-30) 1937年10月30日(44歳没)
死没地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
所属政党 ボリシェヴィキ
称号 労働赤旗勲章

アゼルバイジャン共産党)中央委員会
第一書記
在任期間 1930年8月 - 1933年2月

全連邦共産党(ボ)モスクワ州委員会
第二書記
在任期間 1929年9月18日 - 1930年1月9日

全連邦共産党(ボ)ザカフカース地方委員会
第二書記
在任期間 1930年11月19日 - 1931年10月31日

在任期間 1931年10月31日 - 1933年

ソビエト連邦通信副人民委員
在任期間 1937年4月5日 - 1937年6月
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ウラジーミル・イヴァノヴィチ・ポロンスキーロシア語: Владимир Иванович Полонский, ラテン文字転写: Vladimir Ivanovich Polonskii1893年6月17日 - 1937年10月30日)は、ロシアの革命家・ソビエト連邦の政治家。

生涯

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1893年6月17日(ユリウス暦5日)、ロシア帝国トボリスク県トボリスクの中産階級に生まれた[1]ロシア人[2]1908年から船員として、1912年からサンクトペテルブルクで電気技師として働き、同年にはボリシェヴィキ党員となった[1]1913年にはサンクトペテルブルク金属労組中央局メンバーとして党活動に従事したが、1914年には逮捕され、翌1915年に故郷トボリスク県に追放された[1]

1917年3月の二月革命からはモスクワ金属労組中央局書記となり、十月革命の際はモスクワ軍事革命委員会ロシア語版およびアレクサンドル鉄道 (ru) 軍事革命委員会メンバーや、モスクワ県人民経済会議ロシア語版局員として活動した[3]。翌1918年7月からはヴィテプスク支隊で、8月21日から9月21日までは西部戦線ロシア語版第1スモレンスク歩兵師団で、10月からは南部戦線ロシア語版軍事通信部で軍事委員として活動し、翌1919年5月からは全ロシア労組中央会議ロシア語版南局責任教官、9月からは南東鉄道軍事委員、11月からは翌1920年3月までは全ロシア鉱山労働者会議組織局議長を務めた[3]。1920年には全露労組中央会議南局議長、鉱山労働者会議中央委書記および組織局議長でもあった[3]。翌1921年から1924年まではニジニ・ノヴゴロド県ロシア語版労組会議議長、1924年から翌1925年までは全連邦労組中央会議ロシア語版組織部部長を務め、1925年から1928年まではモスクワでボリシェヴィキ・ロゴシュカ (ru)・シモノフスコエ地区 (ru) 委責任書記も務めた[3]

1927年12月19日から1937年6月25日までは党中央委員候補であった[3]。1928年から翌1929年9月までは党モスクワ県委組織・指導部部長および書記局員を務め、同月18日から翌1930年1月9日まではモスクワ州委第二書記を務めた[3]。同月から8月まで全連邦労組中央会議書記を務めた後、8月から1933年2月まではアゼルバイジャン共産党中央委第一書記を務めた[3]。同時に1930年11月19日から1931年10月31日まで全連邦共産党ザカフカース地方委第二書記を、同日から1933年まで第三書記を務めた[3]。1933年1月から8月まで党中央委組織・指導部部長を務め、同年7月31日から1935年3月まではソビエト連邦運輸人民委員部 (ru) 政治局局長および第一副人民委員でもあった[3]

1935年3月4日から1937年4月まで再び全連邦労組中央会議書記を務め、同月5日から6月まで連邦通信副人民委員英語版に就いた[3]。第11回 (ru) から第17回ロシア語版までの党大会に出席し、連邦中央執行委メンバーや労働赤旗勲章受章者ともなったが[1]、1937年6月22日に逮捕された[2]。反革命組織への参加およびテロ行為予備を理由として10月29日に連邦最高裁軍事参議会ロシア語版によって死刑判決を下され、翌30日に処刑された[2]。その後は新ドン墓地ロシア語版に葬られていたが、1956年1月に名誉回復ロシア語版がなされた[2]

脚注

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  1. ^ a b c d I Поло́нский // Плата — Проб. — М. : Советская энциклопедия, 1975. — (Большая советская энциклопедия : [в 30 т.] / гл. ред. А. М. Прохоров ; 1969—1978, т. 20).
  2. ^ a b c d Полонский Владимир Иванович”. Сахаровский центр英語版. 2016年12月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j Полонский Владимир Иванович”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. 2016年12月24日閲覧。
党職
先代
ニコライ・ギカロ
アゼルバイジャン共産党(ボ)中央委員会第一書記
1930年8月 - 1933年2月
次代
ルーベン・ルベノフ
先代
なし
全連邦共産党(ボ)モスクワ州委員会第二書記
1929年9月18日 - 1930年1月9日
次代
フョードル・レオーノフ
先代
ニコライ・チャプリン
全連邦共産党(ボ)ザカフカース地方委員会第二書記
1930年11月19日 - 1931年10月31日
次代
ラヴレンチー・ベリヤ
先代
アレクサンドル・ヤコヴレフ
全連邦共産党(ボ)ザカフカース地方委員会第三書記
1931年10月31日 - 1933年
次代
ルーベン・ルベノフ
先代
パーヴェル・ポストゥイシェフ
全連邦共産党(ボ)中央委員会組織・指導部部長
1931年10月31日 - 1933年
次代
なし