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ウラジーミル・コンスタンチノヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウラジーミル・コンスタンチノヴィチ
Владимир Константинович
ウグリチ公
ウラジーミル・コンスタンチノヴィチ、ロストフ公ボリスおよびヤロスラヴリ公ヴァシリー・フセヴォロドヴィチ
在位 1218年 - 1249年

出生 1214年
死去 1249年12月7日
配偶者 エヴドキヤ
子女 アンドレイ
ロマン
家名 リューリク家
父親 ウラジーミル大公コンスタンチン
母親 アガフィヤ・ムスチスラヴナ
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ウラジーミル・コンスタンチノヴィチロシア語: Владимир Константинович1214年 - 1249年12月7日)は、初代ウグリチ公である。在位:1218年 - 1249年。

生涯

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ウラジーミルはウラジーミル大公(兼ロストフ公コンスタンチンとその妻アガフィヤの子として生まれた。1230年、おじのヤロスラフと共にチェルニゴフ公ミハイルへの遠征を行った。1238年にはシチ川の戦いに参加した。この戦いはルーシ諸公軍の敗北に終わったが、ウラジーミルは退却に成功した[1]

1244年、おじヤロスラフ(この時ウラジーミル大公)と共に、世襲領に関する承認を求めてジョチ・ウルスへと赴いた。1249年に没した。リャザン公イングヴァリ(ru)の娘エヴドキヤと1232年に結婚しており、ウグリチ公国は二人の息子アンドレイとロマン(ru)が順次相続・統治した。

出典

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  1. ^ Владимир (русские князья) // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона : в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.

参考文献

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先代
ウグリチ公
1218年 - 1249年
次代
アンドレイ・ウラジミロヴィチ