ウラジーミル・マルコフニコフ
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(ウラジミール・マルコウニコフから転送)
ウラジーミル・マルコフニコフ | |
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19世紀後期の写真 | |
生誕 |
1838年12月22日 ロシア帝国ニジニ・ノヴゴロド州クニャギニノ |
死没 |
1904年2月11日 (65歳没) ロシア帝国サンクトペテルブルク |
研究機関 |
カザン大学 サンクトペテルブルク大学 オデッサ大学 |
出身校 | カザン大学 |
博士課程 指導教員 | アレクサンドル・ブートレロフ |
プロジェクト:人物伝 |
ウラジーミル・ワシリエヴィチ・マルコフニコフ(Влади́мир Васи́льевич Марко́вников、ラテン翻字: Vladimir Vasilevich Markovnikov、1838年12月22日 - 1904年2月11日)は、ロシアの化学者である。
マルコフニコフは、最初は経済学を学んだが、のちにアレクサンドル・ブートレロフの助手となり、カザン大学とサンクトペテルブルク大学で化学を学んだ。1860年から2年間ドイツへ留学して、エミール・エルレンマイヤーとヘルマン・コルベのもとで学んだ。ロシアに帰国して、1869年に博士号を取得し、カザン大学の教授に就任した。1871年からオデッサ大学の教授を務め、その2年後からモスクワ大学の教授を務めた。
マルコフニコフは、彼が1869年に発見したマルコフニコフ則でよく知られている。この規則は、付加反応生成物の分子構造の予測に有用である。彼はこの規則をロシア語以外で公開しなかったので、彼の仕事の大部分は1889年まで知られていなかった[1]。
さらにマルコフニコフは、1879年に6炭素原子以上の炭素環、4炭素原子の炭素環を発見し、1889年に7炭素原子の炭素環を発見することによって、有機化学に貢献した。
出典
[編集]- ^ Hughes, Peter (2006). “Was Markovnikov's Rule an Inspired Guess?”. The Journal of Chemical Education 83 (8): 1152–1154. Bibcode: 2006JChEd..83.1152H. doi:10.1021/ed083p1152.