ウラカワチェリー
ウラカワチェリー | |
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欧字表記 | Urakawa Cherry |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1972年5月3日 |
死没 | 1980年2月16日 |
父 | シンザン |
母 | セカイイチオー |
母の父 | ティエポロ |
生国 |
日本 北海道浦河郡浦河町 |
生産者 | (有)谷川牧場 |
馬主 | (有)谷川牧場 |
調教師 | 栗田勝(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 50戦9勝 |
獲得賞金 | 1億3596万3000円 |
勝ち鞍 |
北九州記念(1978年) 阪神牝馬特別(1978年) |
ウラカワチェリー(欧字名:Urakawa Cherry、1972年5月3日 - 1980年2月16日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬。主な勝ち鞍に1978年の北九州記念、阪神牝馬特別。
経歴
[編集]父・シンザンは戦後初のクラシック三冠馬。母・セカイイチオーの母系をたどると、母の父・ティエポロはタニノチカラ・タニノムーティエ・ロングエースを送り出すなど、ブルードメアサイアーとして活躍。母の父の父であるブルーピーターはフェアウェイ系の種牡馬で、競走馬時代には2000ギニー・ダービー・エクリプスステークスを制した。ブルーピーターもティエポロと同様にブルードメアサイアーとして能力を発揮し、イギリスのリーディングブルードメアサイアーに輝いたこともあった。
管理調教師の栗田勝は、騎手時代にシンザンの主戦騎手を務めた。
戦績
[編集]1974年7月の札幌でデビューし、2戦目には1番人気に応えて6馬身差の快勝。重賞初挑戦の函館3歳Sでは2着に入り、その後は10月の紅葉杯も2着。4戦して1着1回・2着3回と連対率10割で迎えた阪神3歳Sは5番人気に推されたが、初めての着外となる8着でシーズンを終える。1975年は始動戦の紅梅賞で15着と大敗し、飛梅賞(600万下)では4着と掲示板に入って立て直すが、阪神4歳牝馬特別(8着)・桜花賞(14着)では共にテスコガビーの圧勝を許した。鞍上を安田伊佐夫から福永洋一にバトンタッチすると、5月のあずさ賞(600万下)で人気に応えて2勝目を挙げる。夏は北海道シリーズに参戦し、道新杯(800万下)で7頭中5番人気の2着と好走。勝ったロードカップは最下位人気の7番人気でレコード勝ちし、波乱の結末となった。その後はアカシヤS(800万下)・巴賞と連勝し、函館記念では2番人気でツキサムホマレの2着に入った。秋は休養に入り、1976年2月に復帰。鞍上を福永から安田に再びバトンタッチし、3月の関門橋Sでは2着に入る。それ以降は6戦連続着外と苦戦を強いられることとなり、3年連続参戦となった夏の北海道シリーズでも全く良いところがなく、札幌日経賞では後に札幌記念でトウショウボーイ・クライムカイザーを敗るグレートセイカンに大差の11着、短距離Sでは同期の2冠馬・カブラヤオーにこれまた大差の7着であった。12月のセントウルS(1300万下)[1]でホクトボーイの3着に入り、最下位人気で穴を開けた。1977年は始動戦の北山特別(1300万下)で2年ぶりの勝利を飾り、連敗を11で止めた。その後は3戦連続2桁着順を記録するなど、再び苦戦が続く。1978年に松籟S(1000万下)で6勝目を挙げると、5月の短距離特別(1000万下)で2着に入り、6月の木曽川特別(1000万下)で7勝目を飾る。夏は初めて小倉開催に参戦し、北九州記念で重賞初制覇。12月の阪神牝馬特別で重賞2勝目を挙げた。1979年は1月の中日新聞杯から始動したが、2月の京都のオープン7着を最後に引退。
引退後
[編集]引退後は繁殖牝馬となったが、1980年2月16日に死亡している。
競走成績
[編集]- 1974年(5戦1勝)
- 2着 - 函館3歳ステークス、紅葉杯
- 1975年(9戦3勝)
- 1着 - 巴賞、アカシヤステークス、あずさ賞
- 2着 - 函館記念、道新杯
- 1976年(10戦0勝)
- 2着 - 関門橋ステークス
- 3着 - セントウルステークス
- 1977年(9戦1勝)
- 1着 - 北山特別
- 3着 - 淀短距離ステークス
- 1978年(15戦4勝)
- 1979年(2戦0勝)