ウニタ (イタリアの新聞)
Fondata da Antonio Gramsci (アントニオ・グラムシが創刊) | |
創刊号の一面。 | |
種別 | 日刊新聞 |
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判型 | ベルリナー判 |
所有者 | Romeo editore srl |
編集者 | ピエロ・サンソネッティ |
設立 | 1924年2月12日 |
政治的傾向 | 共産主義(1924年 – 1991年) 社会民主主義(1991年 – 現在) 左派リバタリアニズム(2023年 – 現在) 社会自由主義(2015年 – 2017年) 政党: PCI(1924年 – 1991年) PDS(1991年 – 1998年) DS(1998年 – 2007年) PD(2007年 – 2017年) |
本社所在地 | イタリア、ローマ Via di Pallacorda 7 |
発行数 | 20,937(2014年4月) |
ISSN | 0391-7002 |
ウェブサイト | unita.it |
『ウニタ』、ないし、『ルニタ』[1](イタリア語: l'Unità、[luniˈta]、「団結」の意)は、1924年にイタリア共産党 (PCI) の機関紙として創刊されたイタリアの新聞。1991年に共産党が分裂して以降は、一般紙となった[2]。この新聞は、イタリア共産党とその後継政党である左翼民主党、左翼民主主義者を支持し、2007年10月から2017年に休刊するまでの間は民主党を支持していた。
この新聞は、2014年7月31日に休刊した[3]。その後、2015年6月30日に復刊したが、2017年6月3日に再び休刊した[4]。2023年5月16日、この新聞はピエロ・サンソネッティが編集者となる独立した定期刊行物として、三度目の復刊を果たした[5]。
沿革
[編集]『ウニタ』は、アントニオ・グラムシによって[6]1924年2月12日に[7]、「労働者と農民の新聞」、イタリア共産党 (PCI) の機関紙として創刊された[8]。印刷はミラノでおこなわれ、発行部数は2万部から3万部であった。1925年11月8日、ミラノの当局は、イタリア社会党 (PSI) の機関紙『アヴァンティ! (Avanti!)』と併せて、『ウニタ』の発行を差し止めた。1926年10月31日にベニート・ムッソリーニの暗殺未遂事件が起きた後、『ウニタ』の発行は完全に禁じられた。 1927年年初からは、秘密裏に発行されはじめ、ミラノ、トリノ、ローマやフランスにおいて、不定期での刊行がおこなわれた。完全な刊行体制が復活したのは連合軍がローマを陥落させた1944年6月6日以降であり、新たに編集長となったのはチェレステ・ネガルヴィレであった。
ドイツによる占領から解放された1945年には、新たに地方版がミラノ、ジェノバ、トリノに設けられ、トリノ版の編集には哲学者のルドヴィコ・ジェイモナットが当たった。当時『ウニタ』の編集長を務めていたのはエリオ・ヴィットリーニであった[9]当時の寄稿者たちの中には、ダヴィデ・ラヨロ、ルイージ・カヴァッロ、アダ・ゴベッティ、チェーザレ・パヴェーゼ、イタロ・カルヴィーノ、アルフォンソ・ガット、アルド・トルトレッラ、パオロ・スプリアーノらがいた。この年、イタリア各地の多くの都市で、フェスタ・デ・ルニタ (festa de l'Unità) が開催された。1957年には、ジェノバ、ミラノ、トリノの各版が統合されて、北イタリア版が制作されるようになった。
1962年には、マリオ・アリカータの下で、各版の編集権の統合が図られ、1966年にはマウリツィオ・フェラーラがその後を継いだ。『ウニタ』の発行部数は、1974年の時点で 239,000部であり、1981年にはおよそ100万部となっていたが、新たに登場した左翼系の新聞『ラ・レプッブリカ (la Repubblica)』との競争により、1980年代はじめに相当の部数減に直面し、わずか1年後の1982年には部数の5分の2を失って、およそ60万部となった。 1982年には、キリスト教民主党所属の大臣だったヴィンチェンツォ スコッティが、犯罪組織カモッラの親玉だったラファエレ・クートロと結託している、と糾弾する記事を掲載したが、その後、この内容は虚偽であったことが判明した[10]。編集長だったクラウディオ・ペトルッチオーリは辞任し、エマヌエーレ・マカルーソに交代した。後にイタリアの首相となるマッシモ・ダレマは、1990年7月まで、『ウニタ』の経営責任者を務めていた。
1989年から1990年にかけて、『ウニタ』には、ミケーレ・セラの下で制作された風刺的内容の週刊誌『クオーレ (Cuore)』が付録として付いていた。1991年、『ウニタ』は、紙名に添えられていた「イタリア共産党機関紙 (organo del Partito Comunista Italiano)」という文言を、「アントニオ・グラムシが創刊した新聞 (Giornale fondato da Antonio Gramsci)」に置き換えた。1992年から1996年にかけて、経営にあたっていたワルテル・ヴェルトローニは、定期的に本紙の無料付録として本やビデオカセットを配った。
2000年7月28日から2001年3月28日までの8か月間、『ウニタ』は財政面の問題を抱え、刊行を休止した。この間、発行者は、左翼民主主義者 (DS) とも民主党 (PD) とも繋がりのない出版社であるボルディーニ+カストルディとなったが、論調における政治的立場は、引き続きDSやPDと強く結びついたものであり続けた[7]。
2008年5月、ティスカリ(Tiscali、テッセリスの前身)の創業者で、サルデーニャの首長であるレナト・ソルが、新たに『ウニタ』のオーナーとなることが決定した[11]。この新体制における最初の動きのひとつは、2008年8月におこなわれた編集長の交代であり、アントニオ・パデラロに代えて[12]、『ラ・レプッブリカ』の記者出身であるコンチータ・デ・グレゴリオが新たな編集長となった[7]。2009年6月、マウリツィオ・ミアンが所有する、Gunther Reform Holding 300万ユーロを投資して『ウニタ』の株式の 20% を取得したが、オーナーシップはサルが握ったままであった[13]。2012年5月7日からは、ベルリナー判での刊行が始まった[14]。
2014年7月31日、『ウニタ』はまた休刊した[3][15][16]。株主の集会がもたれたが、いかにして財政的にこの新聞を維持するのか、結論を出すことはできず、負債額は3000万ユーロにのぼっていた[17]。
2015年6月30日、『ウニタ』は新たな編集長エラスモ・ダンジェリス (Erasmo d'Angelis) を迎え、リニューアルされた紙面づくりを始めた。新しいオーナーは、イタリアの建築業界の大物実業家ステファノ・ペッシーナ (Stefano Pessina)で、株式の一部は民主党が所有することになった。しかし、新たに再出発した『ウニタ』は、程なくしてまた経営危機に陥り、毎月25万ユーロの純損失を出し、6万部の新聞を印刷しながら、実売部数は 8000部に留まった[18]。事態の改善を期して、オーナーたちは編集長のダンジェリスを解任し、長らく『ウニタ』で働いてきたカートゥーン作家のセルジオ・スタイノを新たな編集長に任命した。しかし、これも功を奏さず、2017年6月3日に、『ウニタ』は3度目の休刊に入った[19]。
2018年から2022年まで、『ウニタ』は、発行免許の失効を回避するため、年1回だけ刊行された[20][21][22]。
2022年7月27日、『ウニタ』の発行会社は破産宣告を受け、新聞発行事業は公開の競売にかけられた[23]。
2022年11月22日、その少し前に『リフォルミスタ (Il Riformista)』を取得して再刊させていた Romeo Editore srl グループが、91万ユーロを投じて『ウニタ』を買収した[24]。その後、ピエロ・サンソネッティが編集長に指名され、『ウニタ』は2023年5月16日に刊行を再開した[5]。
発行部数の推移
[編集]『ウニタ』の発行部数の最盛期は1950年代前半とされており、当時の日曜版は100万部を超える部数があったという[25]。
1988年の時点で、『ウニタ』の発行部数30万部であった[26]。1991年の時点では、156,000部ほどが発行されていたが、翌1992年には、 124,000部になってしまった[27]。1997年の時点では、発行部数は 82,078部で、イタリアの新聞としては10番目に大きな部数とされていた[28]。2008年の部数は 49,536部、2009年の部数は 53,221部であった[29]。しかし、部数は2010年には 44,450部まで落ち込んだ[29]。2014年4月時点での部数は 20,937部であった[30]。2016年の部数は、8,000部まで下落し、2017年には更に沈んで 7,000部となった[18]。
脚注
[編集]- ^ 坂本鉄男 (2011年10月16日). “イタリア便り 新聞は“名門系”強し”. 産経新聞:坂本鉄男 (2011年10月16日). “坂本鉄男 イタリア便り 新聞は“名門系”強し”. 公益財団法人日伊協会. 2024年7月26日閲覧。
- ^ 「ウニタ」『デジタル大字辞泉』 。コトバンクより2024年7月26日閲覧。
- ^ a b “Addio a l'Unità dal 1° agosto. I giornalisti: ci hanno uccisi”. E Polis. (30 July 2014). p. 2
- ^ "Chiude L'Unità, ultimo numero in Pdf. "Così si calpesta una storia".
- ^ a b “L'Unità torna in edicola dopo sette anni. Il direttore Sansonetti: "Saremo dalla parte dei più deboli"” (イタリア語). la Repubblica (2023年5月15日). 2024年7月26日閲覧。
- ^ “Austerity threatens Europe's Left press”. Revolting Europe. (12 January 2012) 1 July 2015閲覧。
- ^ a b c Anna Momigliano (16 September 2008). “In Italy, Female Editor Signals Women's Rise”. The Christian Science Monitor
- ^ Angela Vettese (2012). “Italy in the Sixties: A Historical Glance”. In Bernhard Mendes Bürgi. Arte Povera. The Great Awakening. Hatje Cantz. ISBN 978-3-7757-3357-1 19 April 2015閲覧。
- ^ Herbert Lottman (15 November 1998). The Left Bank: Writers, Artists, and Politics from the Popular Front to the Cold War. University of Chicago Press. p. 252. ISBN 978-0-226-49368-8 28 December 2014閲覧。
- ^ See l'Unità, 18 March 1982, p. 1. Marina Maresca, 'Ecco il documento che accusa',
- ^ “Editoria, Soru compra l'Unità. Una fondazione gestirà il giornale” (イタリア語). La Repubblica. (20 May 2008) 28 August 2008閲覧。
- ^ “Concita De Gregorio alla guida dell'Unità” (イタリア語). Corriere della Sera. (22 August 2008) 26 August 2008閲覧。
- ^ Scafi, Massimiliano (27 June 2009). “Il 'cane Gunther' si è comprato un pezzo dell Unità” (Italian). Il Giornale 24 December 2021閲覧。
- ^ “Redesign newspaper: L'unita, Italy”. Behance. 9 February 2015閲覧。
- ^ "Hanno ucciso l'Unità". Archived 8 August 2014 at the Wayback Machine.. l'Unità. 30 July 2014.
- ^ “Italian Communist party paper folds after 90 years”. The Local. (2 August 2014) 25 November 2014閲覧。
- ^ Lizzy Davies (30 July 2014). "Italian newspaper stops publication as shareholders fail to agree rescue deal". The Guardian. Retrieved 5 August 2018.
- ^ a b Bozza, Claudio (17 May 2016). “Cambia l'Unità: dopo D'angelis alla direzione arriverà Luna - Corriere.it”. Corriere della Sera. 21 August 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月26日閲覧。
- ^ “L'Unità, interrotte le pubblicazioni. Ultimo numero in Pdf: "Così si calpesta una storia. Nel silenzio del Pd"” (イタリア語). la Repubblica (2017年6月3日). 2024年7月26日閲覧。
- ^ “L'Unità torna in edicola: solo per un giorno e per evitare la decadenza della testata” (イタリア語). la Repubblica (2018年5月25日). 2024年7月26日閲覧。
- ^ Raimo, Alfonso (2019年5月25日). “Maurizio Belpietro direttore dell'Unità per un giorno, il Cdr insorge: "È uno scempio"” (イタリア語). Agenzia Dire. 2024年7月26日閲覧。
- ^ “L'Unità torna in edicola, ma solo per un numero e con la direzione del 5 Stelle Di Nicola” (イタリア語). la Repubblica (2020年5月9日). 2024年7月26日閲覧。
- ^ “L'Unità, fallita la società che la editava: testata andrà all'asta. Cdr e Fnsi: "Torni a vivere. Se non ora, quando?"” (イタリア語). Il Fatto Quotidiano (2022年7月29日). 2024年7月26日閲覧。
- ^ “Romeo e Sansonetti rilanciano L'Unità. Il Riformista cerca direttore in "area Calenda"” (イタリア語). Prima Comunicazione (2022年11月22日). 2024年7月26日閲覧。
- ^ 「ウニタ」『改訂新版 世界大百科事典』 。コトバンクより2024年7月26日閲覧。 - 執筆:小松原久夫
- ^ Peter Humphreys (1996). Mass Media and Media Policy in Western Europe. Manchester University Press. p. 90. ISBN 9780719031977 29 October 2014閲覧。
- ^ David Forgacs; Robert Lumley, eds (1996). Italian Cultural Studies:An Introduction. Oxford, England: Oxford University Press. オリジナルの28 December 2014時点におけるアーカイブ。
- ^ “The management publishing industry in Europe” (Occasional Paper No:99/4). University of Navarra (October 1999). 30 June 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。27 April 2015閲覧。
- ^ a b “National Newspapers”. International Federation of Audit Bureaux of Circulations. 5 March 2015閲覧。
- ^ "Data (April 2014)". Accertamenti Diffusione Stampa.
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Historical digital archive, from 2 January 1946 to 31 July 2014