ウタツサウルス
ウタツサウルス | |||||||||||||||||||||||||||
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ウタツサウルス
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地質時代 | |||||||||||||||||||||||||||
前期三畳紀 | |||||||||||||||||||||||||||
分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Utatsusaurus Shikama, Kamei & Murata, 1978 | |||||||||||||||||||||||||||
種 | |||||||||||||||||||||||||||
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ウタツサウルス(学名:Utatsusaurus)は、約2億5000万年前から2億4500万年前にあたる中生代の前期三畳紀に生息していた、初期の魚鰭類に属する海生爬虫類の属。体は細長く全長は3メートルに達する[1]。模式種ウタツサウルス・ハタイイのみがウタツサウルス属を構成し、さらにはウタツサウルス科を構成している[2][3]。
宮城県歌津町(現在の南三陸町)館崎の海岸に露出した稲井層群大沢累層で最初の化石が発見されている。属名はそれにちなみ[4]、種小名は発見者である東北大学名誉教授の畑井小虎にちなむ[5]。また、宮城県南三陸町の他、同県雄勝町(現石巻市)の小島から2体分の略完全な骨格が発見されている[6]。また、カナダのブリティッシュコロンビア州からも良好な頭部の化石が発見されている[7]。
形態
[編集]後の進化した魚竜とは違い、ウタツサウルスには背ビレが存在しなかった。頭骨も幅広くはなく、より丸みを帯びた派生的魚鰭類と比較すると吻部の先が細くなっていた[8]。後眼窩骨は後前頭骨の後ろに伸びた突起を覆っており、これは魚鰭類の明白な祖先形質である[8]。歯は非常に小さく、原始的な歯溝に収まっていた。縦に伸びた歯溝は近縁な魚竜であるグリッピアより長く真っすぐ伸びていたと考えられていた[9]が、後にホロタイプの研究から、歯溝はむしろ直線でなくかつ太いという報告がなされた[10]。ヒレは小さく、指は5本存在した[11]。また、第一指の縮小と他の指の指骨の増加といった特殊化も見られる[7]。尾の下には長いヒレが存在し、前肢後肢のヒレや尾を使うというよりも、仙椎の前方に40個の円柱状の椎骨が並んでいることからもウナギのように身体をくねらせて泳いでいたと推定されている。
ウタツサウルスには、祖先である陸上有羊膜類と派生した魚竜の間の移行段階の特徴が見られる。第一に、腰帯と脊椎の繋がりは陸上で体を支える必要のある陸上有羊膜類のものほど強固ではなかった。おそらく腸骨と繋がっている仙椎肋骨(sacral ribs)によって腰帯は脊椎と繋がっているが、仙椎肋骨は仙椎椎骨と癒合していない。第二に、ウタツサウルスの上腕骨と大腿骨が同じ長さであり、魚竜では上腕骨が長く、陸上有羊膜類では大腿骨が長い。第三に、ウタツサウルスの後肢は前肢よりも大きい[1]。
分類
[編集]カリフォルニア大学バークレー校の藻谷亮介および北海道大学の安藤達郎と箕浦名知男が1998年にウタツサウルスの本来の骨格の歪みを補正するためCGIを用いて化石を再検査した。その結果、ウタツサウルスがペトロラコサウルスのようなトカゲに類似した双弓類に近縁であり、魚鰭類がトカゲ・ヘビ・ワニの遠い親戚にあたることを発見した。彼らはまた、系統解析を用いて魚竜目を双弓類に分類し、トカゲ目(Sauriaであって有鱗目ではない)の姉妹群とした。
2013年にはカナダカルガリー大学の Cuthbertson らによる系統解析によって、魚鰭類が単系統でありウタツサウルスとパルヴィナタトルが基盤的な分類群であると報告した[8]。
下のクラドグラムは1999年の藻谷亮介の論文に基づく[12]。
魚鰭類 |
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なおウタツサウルスを魚竜目に位置付ける意見もあり、下のクラドグラムは Maisch と Matzke の2000年の論文に基づく[13]。
魚竜目 |
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日本において
[編集]歌津町館崎の発掘現場は化石と共に国の天然記念物に指定されているが、1990年2月、何者かによって化石の一部が盗掘された[14]。ウタツサウルスのホロタイプは東北大学総合学術博物館に所蔵されており、東北地方太平洋沖地震で魚竜館が被った被害は回避できた[15]。
脚注
[編集]- ^ a b Motani, R., N. Minoura, and T. Ando, Ichthyosaurian relationships illuminated by new primitive skeletons from Japan. Nature, 1998. 393(6682): p. 255-257. doi:10.1038/30473
- ^ http://fossilworks.org/cgi-bin/bridge.pl?a=taxonInfo&taxon_no=38872
- ^ http://fossilworks.org/cgi-bin/bridge.pl?a=taxonInfo&taxon_no=36578
- ^ 金子隆一 1995, p. 217.
- ^ 日経サイエンス 2004, p. 66.
- ^ 日経サイエンス 2004, p. 70.
- ^ a b 金子隆一 1995, p. 220.
- ^ a b c Cuthbertson, R.S., A.P. Russell, and J.S. Anderson, Reinterpretation of the cranial morphology of Utatsusaurus hataii (Ichthyopterygia) (Osawa Formation, Lower Triassic, Miyagi, Japan) and its systematic implications. Journal of Vertebrate Paleontology, 2013. 33(4): p. 817-830. doi:10.1080/02724634.2013.756495
- ^ Shikama, T., T. Kamei, and M. Murata, Early Triassic Ichthyosaurus, Utatsusaurus hataii Gen. et Sp. Nov., from the Kitakami Massif, Northeast Japan. Science Reports of the Tohoku University Second Series (Geology), 1977. 48(1–2): p. 77-97.
- ^ Motani, R., Redescription of the dental features of an early Triassic ichthyosaur, Utatsusaurus hataii. Journal of Vertebrate Paleontology, 1996. 16(3): p. 396-402.
- ^ Motani, R., New information on the forefin of Utatsusaurus hataii (Ichthyosauria). Journal of Paleontology, 1997. 71(3): p. 475-479.
- ^ Motani, R. (1999). Phylogeny of the Ichthyopterygia. Journal of Vertebrate Paleontology, 19:3, 473-496.
- ^ Maisch, M.W.; Matzke, A.T. (2000). "The Ichthyosauria". Stuttgarter Beitrage zur Naturkunde, Serie B (Geologie und Palaontologie). 298: 1–159.
- ^ 金子隆一 1995, p. 221.
- ^ “東日本大震災で被災した南三陸地域の自然史標本と「歌津魚竜館化石標本レスキュー事業」”. 日本地質学会 (2012年2月10日). 2018年12月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 金子隆一 他『翼竜の謎 翼竜・首長竜・魚竜の時代』二見書房、1995年。ISBN 4-576-95114-9。
- 日経サイエンス編集部 編 編『地球を支配した恐竜と巨大生物たち』日経サイエンス社〈別冊日経サイエンス〉、2004年。ISBN 4532511453。