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ウォーレン・ハリス (シリアルキラー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウォーレン・ハリス
Warren Harris, Jr.
生誕 1961年(62 - 63歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ルイジアナ州ニューオーリンズ
別名 フレンチ・クオーターの刺殺者
The French Quarter Stabber
罪名 3件の殺人罪
刑罰 3回の仮釈放なしの終身刑
犯罪者現況 ルイジアナ州刑務所に服役中
殺人
被害者数 4人(うち3人の殺害で有罪)
犯行期間
1977年2月14日–4月7日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ルイジアナ州
逮捕日
1977年4月13日
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ウォーレン・ハリス・ジュニア英語: Warren Harris, Jr., 1961年 - )はフレンチクォーターの刺殺者(the French Quater Stabber)として知られるアメリカの連続殺人犯で、当時10代の彼は1977年2月から4月にかけてニューオーリンズ州フレンチクォーターで4人の男性(うち3人がゲイ)を刺殺した。3件の殺人で有罪になり、3回の逐次執行の終身刑(仮釈放なし)を言い渡され、現在はルイジアナ州刑務所に収監されている。

生い立ち

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ハリスの生い立ちは、よくわかっていない。1961年にニューオーリンズに生まれ、おそらく彼の母と母方の祖父(街でよく知られたバプテスト教役者)のもとで育つ。幼少期から、ひったくりや窃盗といった軽犯罪に手を染め、1974年に自動車盗で投獄されている[1]。犯罪記録が残っているものの、暴力犯とはみなされておらず、8年生(日本の高校1年に該当)で退学したあとは、性転換したルームメイトとフレンチクォーターに引っ越した[2]

殺人事件

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1977年2月14日から4月7日にかけて、フレンチクォーターの半径20ブロックの範囲にあるストリップ劇場やジャズの店近くで、合わせて5人が刺殺される事件が起こった[3]。ほとんどの犠牲者には多くの共通点があった。

  • 大半が中年のゲイで、頻繁にフレンチクォーターの同性愛者向けの建物に出入りしていた
  • 5人全員が刺殺されている
  • 4人が自宅で殺害されている
  • 3人は明らかに性行為の直後に殺されている

ほとんどの犠牲者がゲイと知られていた事実から、ニューオーリンズのゲイコミュニティは混乱に陥り、殺人者のターゲットにされているのではないかと恐れられた[3]

以下は被害者の詳細

  • ロバート・ゲイリー(47) - バレンタインデーに自宅で刺殺される
  • ジェームス・マクルーア(32) - 3月2日にガソリンスタンド裏の空き地で刺殺される
  • ジャック・サヴェル(38) - 3月21日、自宅アパートで刺殺体で見つかる。
  • オールデン・D・デラーノ(59) - 4月1日に刺殺される。
  • アーネスト・ポミエ(77) - 4月7日にアパート1階で50回刺されて殺されているのが見つかる。最も年齢の高い被害者で、彼の殺害は他とは著しく異なる。ポミエがゲイとは知られておらず、彼の死体は衣服が脱がされ跪いていた。

サヴェルとデラーノは同じ会社に勤めていて、面識があったと伝えられている。

逮捕から、裁判、投獄

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4月13日、ハリスはフランス人の船員への強盗と殺傷の未遂で逮捕され、すぐに郡刑務所に収監された[4]。刑事の捜査の中で、ホモセクシャルを憎悪していることを漏らし、この2ヶ月に起こった4件の殺人を自供した。これにより、彼はゲーリー、サヴェル、デラーノ、ポミエの殺人で告訴される[4]。マクルーアの殺人は犯罪性なしとされた[1]

彼の逮捕後、ハリスの母親と祖父が尋問に呼び出され、彼らはハリスが事件に関与しているとは思うが、真犯人は他にいると信じると供述している[2]。間もなく、ハリスは4件の殺人で起訴され、一方でハリスが"取調官に署名しないと殺すと脅された[5]"という申し立ては、彼の嘘として却下された。彼の弁護団は、裁判の遅延と死刑判決の回避を狙って、ある公聴会において、死刑判決への異議を申し立てている[6]

弁護団の申し立てはオルレアン教区刑事裁判所に持ち込まれ、4対3の評決でハリスの申し立てが通り、分離裁判が命じられる[7]。これに対し、ハリー・コニック検事はルイジアナ州最高裁に異議申し立てをした[8]

結果、決定は覆され、1977年10月にハリスの裁判が開始される[9]。1ヶ月も経たず、彼は3件の殺人で有罪になり、3件の仮釈放なしの終身刑を逐次執行という判決が出された[10]

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b “Warren Harris”. The Crowley Post-Signal: pp. 1. (1977年4月15日). https://www.newspapers.com/article/the-crowley-post-signal-warren-harris/104334435/ 2024年1月22日閲覧。 
  2. ^ a b “Warren Harris”. The Times: pp. 17. (1977年4月15日). https://www.newspapers.com/article/the-times-warren-harris/104334461/ 2024年1月22日閲覧。 
  3. ^ a b “Warren Harris”. The Crowley Post-Signal: pp. 1. (1977年4月8日). https://www.newspapers.com/article/the-crowley-post-signal-warren-harris/104334621/ 2024年1月22日閲覧。 
  4. ^ a b “Warren Harris”. The Town Talk: pp. 1. (1977年4月14日). https://www.newspapers.com/article/the-town-talk-warren-harris/104334594/ 2024年1月22日閲覧。 
  5. ^ “Warren Harris”. The Town Talk: pp. 8. (1977年6月24日). https://www.newspapers.com/article/the-town-talk-warren-harris/104334550/ 2024年1月22日閲覧。 
  6. ^ “Warren Harris”. Daily World: pp. 8. (1977年9月15日). https://www.newspapers.com/article/daily-world-warren-harris/104334527/ 2024年1月22日閲覧。 
  7. ^ “Warren Harris”. The Monroe News-Star: pp. 22. (1977年9月20日). https://www.newspapers.com/article/the-monroe-news-star-warren-harris/104334512/ 2024年1月22日閲覧。 
  8. ^ “Warren Harris”. The Town Talk: pp. 22. (1977年9月20日). https://www.newspapers.com/article/the-town-talk-warren-harris/104334451/ 2024年1月22日閲覧。 
  9. ^ “Warren Harris”. The Shreveport Journal: pp. 14. (1977年10月26日). https://www.newspapers.com/article/the-shreveport-journal-warren-harris/104334485/ 2024年1月22日閲覧。 
  10. ^ “Warren Harris”. The Daily Review: pp. 12. (1977年11月18日). https://www.newspapers.com/article/the-daily-review-warren-harris/104334472/ 2024年1月22日閲覧。 

外部リンク

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