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ウォルドグレイヴ伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウォルドグレイヴ伯爵
Earl Waldegrave

紋章記述

Arms: Per pale, Argent and Gules. Crest: Out of a Ducal Coronet Or, a Plume of five Ostrich Feathers, the first two Argent, the third per pale Argent and Gules, the last two Gules. Supporters: On either side a Talbot Sable, eared Or, gorged with a Mural Crown Argent.[1]

創設時期1729年9月13日
創設者ジョージ2世
貴族グレートブリテン貴族
初代ジェームズ・ウォルドグレイヴ
現所有者ジェームズ・ウォルドグレイヴ英語版(13代伯)
相続人エドワード・ウォルドグレイヴ(チュートン子爵)
付随称号チュートン子爵、チュートンのウォルドグレイヴ男爵、ヒーヴァー城のウォルドグレイヴ準男爵
邸宅チュートン・ハウス
旧邸宅ヒーヴァー城英語版
モットーPASSES AVANT(邁進せよ)

ウォルドグレイヴ伯爵: Earl Waldegrave [ˈwɔːlɡrv] ウォールグレイヴ)は、グレートブリテン貴族伯爵位。外交官の第2代ウォルドグレイヴ男爵ジェームズ・ウォルドグレイヴ1729年に叙されたのに始まる。

歴史

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ウォルドグレイヴ家の祖先として明らかになっている最も古い人物は、1205年ロンドンシェリフを務めたジョン・ド・ウォルドグレイヴ(John de Walgrave)の父ワーリン・ド・ウォルドグレイヴ(Warine de Walgrave)である。その子孫のリチャード・ウォルドグレイヴ英語版(1338頃–1410)は、1381年から1382年にかけてイングランド議会下院議長を務めた[2]。その子孫のエドワード・ウォルドグレイヴ英語版(1516頃-1561)は、1553年に女王メアリー1世からサマセットチュートン・メンディップ英語版・ウォルドグレイヴ荘園(Waldegrave Estate)を与えられた。以降ここがウォルドグレイヴ一族の本拠となり、現在に至るまでこの土地を相続し続けている[3]。また1557年から1715年までケント州ヒーヴァー城英語版を所有した[4]

ウォルドグレイヴ家で最初に世襲称号を得たのは、ウォルドグレイヴ荘園を与えられたエドワード・ウォルドグレイヴの孫にあたるエドワード・ウォルドグレイヴ英語版(1568頃–1650頃)である。彼は1643年8月1日にイングランド準男爵位の(ケント州におけるヒーヴァー城のウォルドグレイヴ)準男爵(Baronet "Waldegrave of Hever Castle, co. Kent")に叙された[5][6]。その曽孫である4代準男爵ヘンリー・ウォルドグレイヴ(1661–1689)は、1686年1月20日イングランド貴族爵位サマセット州におけるチュートンのウォルドグレイヴ男爵(Baron Waldegrave, of Chewton in the County of Somerset)に叙され、貴族に列した[6][7]

その息子である2代ウォルドグレイヴ男爵ジェームズ・ウォルドグレイヴ (1684–1741)は、外交官としてオーストリアの全権大公使を務め、1729年9月13日グレートブリテン貴族爵位のウォルドグレイヴ伯爵(Earl Waldegrave)チュートン子爵(Viscount Chewton)に叙せられた[6][8]。その息子である2代ウォルドグレイヴ伯爵ジェームズ・ウォルドグレイヴ(1715–1763)は、1757年6月中に4日間だけ第一大蔵卿を務めている。そのため首相と見做されることもある[9]。男子のない2代伯の死後、その弟ジョン・ウォルドグレイヴが3代伯を継承[6][10]

3代伯爵の次男ウィリアム・ウォルドグレイヴ英語版は、海軍大将となり、1800年ラドストック男爵英語版に叙されている。一方ウォルドグレイヴ伯爵位は3代伯の死後、3代伯の長男ジョージ・ウォルドグレイヴ(1751–1789)が継承(4代伯)。4代伯の死後はさらにその息子のジョージ・ウォルドグレイヴ(1784–1794)が5代伯を継承したが、5代伯は幼くして死去したため、その弟ジョン・ウォルドグレイヴ英語版(1785–1835)が6代伯を継承した。6代伯は陸軍軍人であり、ワーテルローの戦いにも第54歩兵連隊英語版の中佐として参戦している[6]

6代伯の死後、その息子のジョージ・エドワード・ウォルドグレイヴ英語版(1816–1846)が7代伯を継承したが、子供なく死去したため、叔父(4代伯の四男)にあたる海軍中将のウィリアム・ウォルドグレイヴ英語版(1788–1859)が8代伯を継承した[6][11]

その長男であるチュートン子爵(儀礼称号)ウィリアム・ウォルドグレイヴ英語版1816-1854は、クリミア戦争に従軍して38歳で戦死したため[12]、8代伯の死後、チュートン子爵の遺児ウィリアム・ウォルドグレイヴ英語版(1851–1930)が9代伯を継承した[6][13]。彼は1896年から1905年にかけて保守党政権下において近衛ヨーマン隊長・貴族院与党院内幹事長を務めた[14][15]

9代伯の死後、その息子ウィリアム・ウォルドグレイヴ英語版(1882–1933)が10代伯を継承したが、結婚せず子供がなかったので彼の死後は叔父ヘンリー・ウォルドグレイヴ英語版(1854–1936)が11代伯を継承した[6][16]。11代伯の死後はその息子ジェフリー・ウォルドグレイヴ英語版1905–1995)が12代伯を継承した。12代伯の次男ウィリアム・ウォルドグレイヴ英語版(1946-)は、保守党の政治家として出世し、サッチャー内閣やメージャー内閣で厚生大臣英語版ランカスター公領大臣農林水産食料大臣英語版大蔵首席政務次官英語版などの閣僚職を歴任し、1999年一代貴族ノース・ヒルのウォルドグレイヴ男爵(Baron Waldegrave of North Hill)に叙されている[17]

一方ウォルドグレイヴ伯爵位は、12代伯の死後、その長男であるジェームズ・ウォルドグレイヴ英語版(1940-)が13代伯を継承している。2019年現在の当主も彼である[6][18]

現当主の保有爵位/準男爵位

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現当主ジェームズ・ウォルドグレイヴ英語版は以下の爵位/準男爵位を保有している[6]

歴代当主

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(ヒーヴァー城のウォルドグレイヴ)準男爵(1643年)

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ウォルドグレイヴ男爵 (1686年)

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ウォルドグレイヴ伯爵 (1729年)

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家系図

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初代ウォルドグレイヴ伯爵
ジェームズ・ウォルドグレイヴ
(1684–1741)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代ウォルドグレイヴ伯爵
ジェームズ・ウォルドグレイヴ
(1715–1763)
 
3代ウォルドグレイヴ伯爵
ジョン・ウォルドグレイブ
(1718–1784)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エリザベス・ウォルドグレイヴ英語版
(1760–1816)
 
4代ウォルドグレイヴ伯爵
ジョージ・ウォルドグレイヴ
1751–1789
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5代ウォルドグレイヴ伯爵
ジョージ・ウォルドグレイヴ
(1784–1794)
 
第6代ウォルドグレイヴ伯爵
ジョン・ウォルドグレイヴ英語版
(1785–1835)
 
8代ウォルドグレイブ伯爵
ウィリアム・ウォルドグレイヴ英語版
(1788–1859)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第7代ウォルドグレイヴ伯爵
ジョージ・ウォルドグレイヴ英語版
(1816–1846)
 
チュートン子爵(儀礼称号)
ウィリアム・ウォルドグレイヴ英語版
(1816–1854)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第9代ウォルドグレイヴ伯爵
ウィリアム・ウォルドグレイヴ英語版
(1851–1930)
 
第11代ウォルドグレイヴ伯爵
ヘンリー・ウォルドグレイヴ英語版
(1854–1936)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第10代ウォルドグレイヴ伯爵
ウィリアム・ウォルドグレイヴ英語版
(1882–1933)
 
第12代ウォルドグレイヴ伯爵
ジェフリー・ウォルドグレイヴ英語版
(1905–1995)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第13代ウォルドグレイヴ伯爵
ジェームズ・ウォルドグレイヴ英語版
(1940-)

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ Debrett's Peerage, 1876, p.480
  2. ^  この記事はパブリックドメインの辞典本文を含む: "Waldegrave, Richard". Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  3. ^ Welcome to The Waldegrave Estate, Chewton Mendip” (英語). The Waldegrave Estate. 2019年1月31日閲覧。
  4. ^ HISTORY” (英語). Hever Castle and Gardens. 2019年1月31日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “Sir Edward Waldegrave, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年1月28日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j Heraldic Media Limited. “Waldegrave, Earl (GB, 1729)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年1月28日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “Henry Waldegrave, 1st Baron Waldegrave of Chewton” (英語). thepeerage.com. 2019年1月28日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “James Waldegrave, 1st Earl Waldegrave” (英語). thepeerage.com. 2019年1月31日閲覧。
  9. ^ Lundy, Darryl. “James Waldegrave, 2nd Earl Waldegrave” (英語). thepeerage.com. 2019年1月31日閲覧。
  10. ^ Lundy, Darryl. “John Waldegrave, 3rd Earl Waldegrave” (英語). thepeerage.com. 2019年1月31日閲覧。
  11. ^ ウィキソース出典 O'Byrne, William Richard (1849), “Waldegrave, William” (英語), A Naval Biographical Dictionary, John Murray, ウィキソースより閲覧。 
  12. ^ Lundy, Darryl. “James Waldegrave, 2nd Earl Waldegrave” (英語). thepeerage.com. 2019年1月31日閲覧。
  13. ^ Lundy, Darryl. “William Frederick Waldegrave, 9th Earl Waldegrave” (英語). thepeerage.com. 2019年1月31日閲覧。
  14. ^ "No. 26773". The London Gazette (英語). 1 September 1896. p. 4931.
  15. ^ "No. 27877". The London Gazette (英語). 23 January 1906. p. 541.
  16. ^ Lundy, Darryl. “William Edward Seymour Waldegrave, 10th Earl Waldegrave” (英語). thepeerage.com. 2019年1月31日閲覧。
  17. ^ Baron Waldegrave of North Hill”. Parliament UK website. 17 May 2015閲覧。
  18. ^ Lundy, Darryl. “James Sherbroke Waldegrave, 13th Earl Waldegrave” (英語). thepeerage.com. 2019年1月31日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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