ウエストコースト航空956便墜落事故
事故機の姉妹機 | |
事故の概要 | |
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日付 | 1966年10月1日 |
概要 | CFIT |
現場 | アメリカ合衆国・オレゴン州クラカマス郡 |
乗客数 | 13 |
乗員数 | 5 |
負傷者数 | 0 |
死者数 | 18(全員) |
生存者数 | 0 |
機種 | マクドネル・ダグラス DC-9-14 |
運用者 | ウエストコースト航空 |
機体記号 | N9101 |
出発地 | サンフランシスコ国際空港 |
第1経由地 | ユージーン空港 |
最終経由地 | ポートランド国際空港 |
目的地 | シアトル・タコマ国際空港 |
ウエストコースト航空956便墜落事故(ウエストコーストこうくう956びんついらくじこ)は、1966年10月1日に発生した航空事故である。
ユージーン空港からポートランド国際空港へと向かっていたウエストコースト航空956便(マクドネル・ダグラス DC-9-14)がオレゴン州のクラカマス郡に墜落し、乗員乗客18人全員が死亡した。この事故はDC-9初の機体損失事故であり、ウエストコースト航空にとっても初の人身死亡事故であった[1][2][3][4][5][6]。 なお、ウエストコースト航空は1968年に運行を停止している。
飛行の詳細
[編集]事故機
[編集]事故機のマクドネル・ダグラス DC-9-14(N9101)は製造番号45794として製造され、1966年に初飛行し、事故のわずか15日前にウエストコースト航空に納入された[1]。同機は9月26日に運航を開始し、総飛行時間は164時間で、連邦航空局の要求通りに整備されていた。75人乗りの同機の価格は300万ドル(約3億円)だった[7]。
乗員
[編集]機長の総飛行時間は18,900時間以上であったが、DC-9での飛行時間はわずか17時間であった。
機長(監査官)の総飛行時間は21,800時間であったが、DC-9での飛行時間はわずか50時間であった。
副操縦士の総飛行時間は9,500時間以上であったが、DC-9での総飛行時間はわずか9時間であった。
機長と副操縦士は事故の2日前に、監査官の機長は9月20日に直近の技能試験を終えていた。その他の2人は客室乗務員で、5人の乗員全員がシアトル近郊在住であった。また、乗客のうち3人はウエストコースト航空の従業員であった[3]。
事故の経緯
[編集]1966年10月1日、事故機は941便としてシアトルからポートランド、ユージーンを経由してサンフランシスコまで運航された。
約1時間後、同機は乗員を変えずに941便と寄港地を反対にする北行きの956便となった。956便は19時34分にユージーンに到着し、19時52分にポートランドへ向けて出発した。このフライトは高度12,000フィート(3,660m)でのビクターエアウェイ23経由による計器飛行方式(IFR)で飛行することの承認を得た[8]。
20時04分(PDT)、956便は航空交通管制のレーダー誘導の下でシアトルセンターから降下指示を受けた。956便は14,000フィート(4,270m)から9,000フィート(2,740m)への降下指示を確認した。約1分後、管制官はポートランド国際空港の滑走路28Rが使用中であることを告げ、方位30度に右旋回するよう指示した。旋回する方向を質問した後、956便は「方位30度に右旋回、了解」と返答した。
右旋回中の956便が推定方位240度から260度を通過している間に管制官と956便との交信が途絶えた。20時09分、管制官は956便に300度の方位に達した時点で報告するよう指示した。何回か指示を繰り返した後、956便は「956便、了解」と返答した。レーダーターゲットが戻らず、956便からの通信が途絶えたため、20時15分に事故通知手続きが開始された[8]。
消息を絶った夜にマックコード空軍基地(ワシントン州タコマの南)からF-106デルタダート戦闘迎撃機、ポートランドの空軍基地からはHU-16アルバトロス水上飛行機が派遣され、956便の捜索にあたった[3][9]。失踪時、日没から1時間以上経過した時点の雲の上限は2,900フィート(880m)で、天気は雨であった[9]。
捜索隊は翌日の午後にフッド山から西南西に約10マイル(16km)のフッド山国有林で956便の残骸を発見した[4][5][6][7]。残骸は標高3,830フィート(1,170m)のサーモン山地帯の4,090フィート(1,250m)の尾根の東側の斜面にあった[10]。墜落時の機体の姿勢は右に30度傾き、3~4度の上昇姿勢で、方位は265度を向いていた。機体は多数の大きなモミの木を巻き込んだ後、30~35度の上り坂に衝突し、約150フィート(45 m)の坂を滑落した。主な破片は3,890フィート(1,190m)の地点で静止し、激しい火災が発生した。
機体の残骸は全て発見された。着陸装置は格納されており、飛行中の構造的欠陥、火災、爆発は確認できなかった。機体にはフライトデータレコーダー(FDR)とコックピットボイスレコーダー(CVR)が搭載されており、どちらも残骸から回収されたもののデータを読み取ることができたのはフライトデータレコーダーのみであった。事故調査は民間航空委員会(CAB)のウィリアム・L・ラム(William L. Lamb)が担当した[8][3][9]。
事故調査
[編集]事故の詳細な原因について解明されることはなかったが、国家運輸安全委員会(NTSB)は次のような調査結果を出した[8]。
- 航空機には耐空性があり、パイロットは適切な資格を有していた。
- 956便の機体やそのシステム、動力装置、部品に機械的な故障はなかった。
- フライトは高度9,000フィート(2,740m)まで許可され、それを956便は認識していた。
- 956便は自動操縦で飛行していた。
- 956便は通常の方法で約4,000フィート(1,220 m)まで降下し、水平飛行になった。
- 956便は衝突の2秒前に急な上昇を開始した。
脚注
[編集]- ^ a b 事故詳細 - Aviation Safety Network
- ^ Wyant, Dan (October 2, 1966). “Jet airliner missing near Portland”. Eugene Register-Guard ((Oregon)): p. 1A
- ^ a b c d “West Coast plane missing with 18 aboard”. Lewiston Morning Tribune. Associated Press ((Idaho)): p. 1. (October 2, 1966)
- ^ a b Wyant, Dan (October 3, 1966). “Investigators sift wreckage for clues”. Eugene Register-Guard ((Oregon)): p. 1A
- ^ a b “Investigators probing WCA plane wreckage”. The Bulletin. UPI ((Bend, Oregon)): p. 1. (October 3, 1966)
- ^ a b “None survive WCA crash”. Lewiston Morning Tribune. Associated Press ((Idaho)): p. 1. (October 3, 1966)
- ^ a b All 18 on Plane Killed in Oregon Crash. The New York Times, October 3, 1966.
- ^ a b c d Aircraft Accident Report, West Coast Airlines, Inc., DC-9, N9101, Near Wemme, Oregon, October 1, 1966 (PDF) (Report). National Transportation Safety Board. 11 December 1967. NTSB-AAR-67-AF。
- ^ a b c Airliner missing with 20 on coast: DC-9 Feared Down in Area Near Oregon Mountain. The New York Times, October 2, 1966.
- ^ Air Force Coordination Center Crash Locator