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ウェズリー・パーソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウェズリー・パーソン
Wesley Person
引退
ポジション SG/SF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1971-03-28) 1971年3月28日(53歳)
出身地 アラバマ州ブラントリー
身長(現役時) 198cm (6 ft 6 in)
体重(現役時) 88kg (194 lb)
キャリア情報
出身 オーバーン大学
ドラフト 1994年 23位
選手経歴
1994-1997
1997-2002
2002-2003
2003-2004
2004
2004-2005
2005
フェニックス・サンズ
クリーブランド・キャバリアーズ
メンフィス・グリズリーズ
ポートランド・トレイルブレイザーズ
アトランタ・ホークス
マイアミ・ヒート
デンバー・ナゲッツ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
獲得メダル
バスケットボールU-21世界選手権
1993 バリャドリッド
バスケットボールU-19世界選手権
1991 エドモントン

ウェズリー・パーソンWesley Lavon Person1971年5月28日-)はアラバマ州ブラントリー出身のNBAの元バスケットボール選手。ポジションはG-F。兄チャック・パーソンも元NBA選手だった[1]。身長198cm、体重90.7kg。

経歴

[編集]

1991年のバスケットボールU-19世界選手権、1993年のバスケットボールU-21世界選手権にそれぞれ出場し優勝した。

オーバーン大学を卒業したパーソンは、1994年のNBAドラフトで全体23位指名を受けフェニックス・サンズに入団した。1年目から平均10.4得点と活躍し、オールルーキーセカンドチームに選ばれる。サンズでは年々成績を伸ばし、3年目には平均13.5得点をマークした。サンズでは3シーズンで240試合に出場し、平均12.2得点、3.4リバウンド、1.5アシスト、FG成功率45.8%、3ポイントシュート成功率40.7%の成績を残した。

1997年に、3チーム間のトレードでクリーブランド・キャバリアーズに移籍、5シーズン在籍した。

1997-98シーズンには、3ポイントシュート成功数でシーズントップとなった。

2001-2002シーズンは自己最高の平均15.7得点、3ポイントシュート成功率44%を記録した[2]オールスタースリーポイントコンテストに出場した。プレドラグ・ストヤコヴィッチとは同点決勝までもつれる接戦の末、惜敗した。

キャバリアーズでは5シーズンで平均12.0得点、3.6リバウンド、2.0アシスト、FG成功率46.1%、3ポイントシュート成功率42.2%の成績を残した。

2002-03年シーズン前、ニック・アンダーソンマット・バーンズとの交換でメンフィス・グリズリーズに移籍した。2002-03シーズンは平均は11.0得点、2.9リバウンド、1.7アシストの成績を残した。また、オールスターのスリーポイントコンテストでは、2年連続でストヤコヴィッチと同点決勝で対決したが、カラーボールが決められず惜敗した。

2003-04シーズンは、グリズリーズからの移籍まで平均5.2得点、1.1リバウンド、1.4アシストと成績が下降した。2003年12月3日、2004年のドラフト1巡指名権[3]とともに、ボンジ・ウェルズとトレードされてポートランド・トレイルブレイザーズへ移籍した。ブレイザーズでは33試合に出場し、平均6.5得点、2.2リバウンド、1.2アシストの成績を残した。2004年2月9日、ラシード・ウォレスとともに、シャリーフ・アブドゥル=ラヒームダン・ディッカウテオ・ラトリフとのトレードでアトランタ・ホークスに移籍した。ホークスでは9試合い出場、平均4.4得点、2.8リバウンド、0.6アシストの成績であった。

フリーエージェントとなった彼は2004年8月11日、マイアミ・ヒートと契約を結んだ。ヒートでは自身最低の平均3.9得点、1.4リバウンド、0.7アシストにとどまり、2005年3月1日ウェイバーされた。2日後にデンバー・ナゲッツと契約、ナゲッツでは25試合に出場し、平均8.1得点、2.4リバウンド、1.1アシストの成績を残した。シーズン終了後、現役を引退した。

NBAでは11シーズンで先発454試合を含む733試合に出場、3ポイントシュート成功率41%、1試合平均28.3分出場し、11.2得点、3.3リバウンドの成績を残した[2]

人物

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兄のチャックは、1984年から1986年まで3年連続でオーバーン大学をNCAAトーナメントに導き、4年次にはベスト8へ進出させたが、ウェズリーはトーナメント出場は果たせなかった。息子のウェズリー・パーソン・ジュニアは、2017年トロイ大学をNCAAトーナメントに14年ぶりに導いた。またサン・ベルト・カンファレンスのトーナメントでのMost Outstanding Playerに選ばれた。また1年次から61試合連続で3ポイントシュートを決めたが、これはカレッジバスケットボール史上最長の記録であった[4]

脚注

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  1. ^ Dave McMenamin (2010年6月15日). “He's the right person”. ESPN. 2019年1月5日閲覧。
  2. ^ a b Former NBA star Wesley Person arrested on domestic violence charges”. exnba.com (2012年11月2日). 2019年1月5日閲覧。
  3. ^ セルゲイ・モニアが指名された。
  4. ^ Wesley Person Jr. makes it where Dad didn't: NCAA tourney”. USAトゥデイ (2017年3月15日). 2019年1月5日閲覧。

外部リンク

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