ウェス・ヘルムズ
2023年9月 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ノースカロライナ州ガストニア |
生年月日 | 1976年5月12日(48歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 220 lb =約99.8 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1994年 ドラフト10巡目 |
初出場 | 1998年9月5日 |
最終出場 | 2011年8月13日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ウェスリー・レイ・ヘルムズ(Wesley Ray Helms, 1976年5月12日 - )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州ガストニア出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
叔父のトミーもシンシナティ・レッズなどでプレーした元プロ野球選手。
経歴
[編集]プロ入りとブレーブス時代
[編集]1994年の1994年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから10巡目(全体286位)で指名されプロ入り。
1995年は、A級メイコン・ブレーブスで136試合に出場し、打率.276、11本塁打、85打点の成績を残した。
1996年は、A+級ダーラム・ブルズ、AA級グリーンビル・ブレーブス合計で131試合に出場し、打率.290、17本塁打、76打点という成績を残した。
1997年は、AA級グリーンビル、AAA級リッチモンド・ブレーブス合計で118試合に出場して14本塁打を放ち、3年連続で二ケタ本塁打を記録した。
1998年は、AAA級リッチモンドで125試合に出場して打率.275、13本塁打、75打点という成績を残し、9月5日にメジャーデビューを果たした。同年は、7試合の出場ながら打率.308、1本塁打、2打点、OPS0.923という成績をマークした。
1999年、メジャーでの試合出場はなかった。一方マイナー(ルーキー級、AA級)では、39試合で打率.336、8本塁打、36打点という打撃成績を記録し、強打を発揮した。守備面では、35試合のファースト守備で4失策を犯した。
2000年、2年ぶりにメジャー復帰を果たしたが、僅か6試合の出場に留まった。AAA級リッチモンドでは打率.288、20本塁打、88打点という好成績をマークし、2年連続で大砲として活躍した。一方、守備面では拙守を露呈してしまい、130試合でサードを守って23失策、守備率.933というレベルの低い内容だった。
2001年からは本格的にメジャー定着を果たし、100試合に出場して初の2ケタ本塁打を放った。前年マイナーで大量に失策を犯した守備では、ファーストをメインに守り (77試合)、4失策、守備率.991という安定した成績を残した。また、サードとレフトを守る機会もあった。
2002年、85試合に出場して打率.243と、少し打率が上昇した。守備では内外野のユーティリティ・プレイヤーとして起用され、一塁45試合、三塁24試合、左翼5試合、右翼4試合を守った。シーズンオフに、レイ・キングとのトレードで、ジョン・フォスターと共にミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した。
ブルワーズ時代
[編集]2003年は三塁手のレギュラーを獲得。8月に一時DL入りした期間があったものの[1]、自己最多となる23本塁打、67打点をマークしてメジャーで長打力が開花した。守備では、三塁手を130試合守ったが、19失策、守備率.945、DRS-10と相変わらず拙守だった。
2004年も三塁手のレギュラーで起用されていたが、プエルトリコで公式戦が開催された際、球場へのトンネルで転倒して肘を故障し、DL入りした[2]。復帰後も三塁手で起用されたが、ハイペースでエラーを犯し (66試合の三塁守備で16失策、守備率.904) 、ラッセル・ブラニアンにレギュラーの座を奪われた[2]。しかし、ブラニアンが三振を量産したため、2005年はヘルムズとブラニアンで正三塁手を争う事になった[2]。
2005年は代打での起用が主になった[3]が、95試合で打率.298、4本塁打、24打点という好成績をマークした。OPS0.815も、メジャーで80試合以上に出場したシーズンとしては、最高の数値(当時)であった。12月30日に、フロリダ・マーリンズへ移籍。
マーリンズ時代
[編集]2006年は、自己最高となる140試合に出場して打率.329、10本塁打、47打点、OPS0.965という素晴らしい成績を記録した。守備ではエラーを量産していたが、この年は88試合のファースト守備で無失策だった。シーズンオフの11月15日、フィラデルフィア・フィリーズと2年総額550万ドルの契約[4]を結んだ。
フィリーズ時代
[編集]2007年は112試合に出場したが、前年とは一転して不調に陥り、打率.246、5本塁打、39打点という成績にとどまった。
2008年4月2日にDFAとなり、5日に金銭トレードでフロリダ・マーリンズへ移籍した。
マーリンズ時代
[編集]マーリンズでは2008年から2010年まで、主にバックアップ要員として毎年100試合以上に出場した。
2011年は左かかとの怪我が悪化し、打率が2割を下回るなど不調が続き、8月14日に解雇された[5]。
ブレーブス傘下時代
[編集]2011年8月19日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだが[5]、8月31日に解雇された[5]。
現役引退後
[編集]2018年にフィリーズ傘下AAA級リーハイバレー・アイアンピッグスのベンチコーチに就任[6]。
2019年からはシカゴ・ホワイトソックス傘下AA級バーミングハム・バロンズでベンチコーチを務めた[7]。
2020年からは、地元のノースカロライナ州を本拠地とするホワイトソックス傘下AAA級シャーロット・ナイツの監督を務めている[8]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1999 | ATL | 7 | 13 | 13 | 2 | 4 | 1 | 0 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .308 | .308 | .615 | .923 |
2000 | 6 | 5 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .200 | .200 | .200 | .400 | |
2001 | 100 | 239 | 216 | 28 | 48 | 10 | 3 | 10 | 94 | 36 | 1 | 1 | 0 | 1 | 21 | 2 | 1 | 56 | 3 | .222 | .293 | .435 | .728 | |
2002 | 85 | 231 | 210 | 20 | 51 | 16 | 0 | 6 | 85 | 22 | 1 | 1 | 1 | 6 | 11 | 2 | 3 | 57 | 5 | .243 | .283 | .405 | .688 | |
2003 | MIL | 134 | 536 | 476 | 56 | 124 | 21 | 0 | 23 | 214 | 67 | 0 | 1 | 0 | 7 | 43 | 3 | 10 | 131 | 10 | .261 | .330 | .450 | .780 |
2004 | 92 | 306 | 274 | 24 | 72 | 13 | 1 | 4 | 99 | 28 | 0 | 1 | 1 | 2 | 24 | 1 | 5 | 60 | 10 | .263 | .331 | .361 | .692 | |
2005 | 95 | 188 | 168 | 18 | 50 | 13 | 1 | 4 | 77 | 24 | 0 | 1 | 0 | 3 | 14 | 0 | 3 | 30 | 7 | .298 | .356 | .458 | .814 | |
2006 | FLA | 140 | 278 | 240 | 30 | 79 | 19 | 5 | 10 | 138 | 47 | 0 | 4 | 6 | 5 | 21 | 1 | 6 | 55 | 7 | .329 | .390 | .575 | .965 |
2007 | PHI | 112 | 308 | 280 | 21 | 69 | 19 | 0 | 5 | 103 | 39 | 0 | 0 | 2 | 4 | 19 | 2 | 3 | 62 | 10 | .246 | .297 | .368 | .665 |
2008 | FLA | 132 | 278 | 251 | 28 | 61 | 11 | 0 | 5 | 87 | 31 | 0 | 0 | 0 | 5 | 17 | 0 | 5 | 65 | 6 | .243 | .299 | .347 | .646 |
2009 | 113 | 234 | 214 | 18 | 58 | 11 | 0 | 3 | 78 | 33 | 1 | 1 | 1 | 3 | 13 | 1 | 3 | 54 | 10 | .271 | .318 | .364 | .682 | |
2010 | 127 | 287 | 254 | 25 | 56 | 12 | 4 | 4 | 88 | 39 | 0 | 2 | 0 | 3 | 26 | 1 | 4 | 76 | 7 | .220 | .300 | .346 | .646 | |
2011 | 69 | 124 | 110 | 10 | 21 | 5 | 0 | 0 | 26 | 6 | 0 | 0 | 1 | 0 | 11 | 1 | 2 | 35 | 2 | .191 | .276 | .236 | .513 | |
通算:13年 | 1212 | 3027 | 2711 | 280 | 694 | 151 | 14 | 75 | 1098 | 374 | 3 | 12 | 12 | 39 | 220 | 14 | 45 | 687 | 77 | .256 | .318 | .405 | .723 |
背番号
[編集]- 9(1998年)
- 18(2000年 - 2007年)
- 39(2008年)
脚注
[編集]- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2004』廣済堂出版、2004年、360頁頁。ISBN 4-331-51040-9。
- ^ a b c 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、371頁頁。ISBN 4-331-51093-X。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、268頁頁。ISBN 4-331-51146-4。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、269頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5。
- ^ a b c MLB公式プロフィール参照。2022年1月20日閲覧。
- ^ Tom Housenick (2018年8月25日). “IronPigs bench coach Wes Helms returned to baseball after much-needed time at home”. The Morning Call. 2022年1月20日閲覧。
- ^ “Barons Announce 2019 Coaching Staff”. MiLB.com (2019年1月15日). 2022年1月20日閲覧。
- ^ “Gastonia Native Wes Helms Named Charlotte's New Manager”. MiLB.com (2020年1月13日). 2022年1月20日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Wes Helms stats MiLB.com