ウェイヴァーリー子爵
ウェイヴァーリー子爵 | |
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Crest
A Demi Lion rampant Or armed and langued Azure holding in his dexter forepaw a Branch of Olive proper Escutcheon Argent a Saltire engrailed between a Mullet in chief and a Lotus Flower in base and in each flank a Crescent Gules on a Chief Sable three Martlets of the field Supporters On either side a Horse Argent crined and unguled Or | |
創設時期 | 1959年1月28日 |
創設者 | ジョージ6世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代子爵ジョン・アンダーソン |
現所有者 | 3代子爵ジョン・アンダーソン |
相続人 | フォーブス・アンダーソン閣下 |
相続資格 | 初代子爵の嫡出直系男子 |
付随称号 | なし |
現況 | 存続 |
モットー | Beati Pacifi (Blessed are the peacemakers) |
ウェイヴァーリー子爵(英: Viscount Waverley)はイギリスの子爵、貴族。連合王国貴族爵位。
歴史
[編集]ジョン・アンダーソン(1882-1958)は保守党の政治家で、財務大臣や内務大臣といった閣僚職を歴任した[1][2]。彼は1952年1月28日に連合王国貴族としてサセックス州におけるウェストディーンのウェイヴァーリー子爵(Viscount Waverley, of Westdean in the County of Sussex)に叙された[1][3]。彼ののちは長男デイヴィッドが爵位を相続した。
2代子爵デイヴィッド(1911-1990)は王立バークシャー病院医師を務めていたほか、貴族院においては医療関係の審議に加わっている[1][4][5][6]。
その子である3代子爵ジョン(1996-)がウェイヴァーリー子爵家現当主であり、彼は1999年貴族院法制定以降も貴族院に籍を置く92人の世俗貴族の一人として議席を維持している[1]。
ウェイヴァーリー子爵(1952年)
[編集]- 初代ウェイヴァーリー子爵ジョン・アンダーソン (1882–1958)
- 第2代ウェイヴァーリー子爵デイヴィッド・アラステア・ピアソン・アンダーソン (1911–1990)
- 第3代ウェイヴァーリー子爵ジョン・デズモンド・フォーブス・アンダーソン (1949-)
法定推定相続人は、現当主の息子であるフォーブス・アラステア・ルパート・アンダーソン(1996-)閣下。
脚注
[編集]- ^ a b c d “Waverley, Viscount (UK, 1952)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月8日閲覧。
- ^ Bridges, L.; Dale, H. (1958). “John Anderson, Viscount Waverley 1882-1958”. Biographical Memoirs of Fellows of the Royal Society 4: 306. doi:10.1098/rsbm.1958.0024.
- ^ “No.39451”. The Gazette 29 January 1952. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “Waverley, 2nd Viscount cr 1952, of Westdean, (David Alastair Pearson Anderson)” (英語). Who Was Who. Oxford University Press (1 December 2007). doi:10.1093/ww/9780199540891.001.0001/ww-9780199540884-e-170237. 25 June 2019閲覧。
- ^ “David Alastair Pearson (Viscount) Waverley”. Munks Roll. Royal College of Physicians of London. 25 June 2019閲覧。
- ^ “Viscount Waverley: Raising medical issues in the House of Lords debates”. The Times (63641): p. 16. (28 February 1990)