コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ウェイン・マン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Wayne Munn
Wayne Munnの画像
プロフィール
リングネーム Wayne Munn
身長 6 ft 6 in (1.98 m)
体重 230 lb (100 kg)
誕生日 (1896-02-19) 1896年2月19日
アメリカ合衆国カンザス州コルビー
死亡日

1931年1月9日(1931-01-09)(34歳没)

[1]
テキサス州サン・アントニオフォートサムヒューストン
トレーナー Mike Gibbons
デビュー 1924
引退 1926
テンプレートを表示

ウェイン・マンWayne Munn、1896年2月19日– 1931年1月9日)は、ネブラスカ大学出身のフットボール選手およびプロレスラー。レスラーとして、マンは第10代世界ヘビー級チャンピオンにも就いている。ただしマンの世界タイトルマッチでの勝利は、レスリングの経験が無い純粋なパフォーマーがプロレスで世界選手権に勝利することになった初めてのケースであり、その意味で歴史的な事件である[2]

禁酒法で儲けたギャングに賭けの八百長試合をやらされたレスラーとされる。

ルー・テーズは自伝で、史上初のレスラーではない純粋なパフォーマーが世界王座に就いたのは、第10代王者ウェイン・マンとしている。つまりその頃にはすでにレスリングができないパフォーマーがリングに上がるようにはなっていたことがわかる。

プロレスのキャリア

[編集]

アメリカンフットボールの選手であったマンを、新たなレスリングスターとして見出したのはエド・ルイスとプロモーターのトゥーツ・モント、ビリー・サンダウらとされる。

マンはレスリングの経験がなく、シュートの能力も低かったにもかかわらず、1925年1月8日の世界戦で王者であったエド・ルイスは、あえてマンに王座を譲り渡した[1]。エドを始めとするプロモーターは、レスリング経験は全くなかったが、フットボール選手として知名度の高かったマンを新たなスター選手にしようと目論んだが、その裏には10万ドルが動いたという黒い噂もある。結果的にマンに強豪王者であるエド・ルイスがわざと王座を譲ったことになり、これ以降タイトルはレスラーとパフォーマーレスラーの間を行き来するようなこともしばしばみられるようになった。

この当時エド・ルイスらに説得されて引き立て役などをしていた人物にはスタニスラウス・ズビスコもいた。ところが1925年4月15日に行われたタイトルマッチで、王者であるマンに花を持たせることになっていたはずのズビスコがシュートを仕掛けた。試合はシュートの能力(つまり格闘技の実力)で勝るズビスコの一方的な勝利となり、マンのタイトル保持は3ヶ月強で終わった。このズビスコの「騙し討ち」の一件は後のプロレスに影響を与え、旧NWAの世界タイトルマッチの体で行われた中での出来事であったため、ズビスコは関係者から危険人物とみなされるようになったが、一方で事情を知らない一般のファンからは多大な人気を集めた。この反省を活かして旧NWAはシュートに対応できる実力者を王者にするようになったと言われている[3]。なお、この試合は「マッチメイク破り」としては史上最古の例と伝わっている。ズビスコに破れたマンは、ミシガン州イリノイ州で世界ヘビー級王者として認定され続けたが[4]、1928年2月2日に行われたタイトルマッチでエド・ルイスに敗れ王座を失い、その後引退している。

引退後マンは腎臓病を患い、闘病生活を妻と娘のメアリー・アン・マンらと送るが、1931年1月9日にテキサス州サンアントニオのフォートサムヒューストン基地病院で死去。亡くなるまでの数年間、マンは石油事業に従事していた[5]

マンはまた第一次世界大戦にも従軍し、歩兵の中尉を務めていた[6]

獲得タイトル

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b Kristian Pope & Ray Whebbe Jr. (2003). The Encyclopedia of Professional Wrestling: 100 Years of History, Headlines & Hitmakers (Encyclopedia of Professional Wrestling). Krause Publications. p. 213. ISBN 978-0-87349-625-4 
  2. ^ Kenyon, Lou Thesz with Kit Bauman ; edited by J. Michael (2011). Hooker (3rd ed.). Gallatin, Tenn.: Crowbar Press. ISBN 978-0-9844090-4-4 
  3. ^ ミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。ISBN 9784800289216 pp.206-207
  4. ^ “S. Zbyszko Defeats Munn For Mat Title”. The New York Times. (May 16, 1925). https://www.nytimes.com/1925/04/16/archives/s-zbyszko-defeats-munn-for-mat-title-veteran-pole-regains-worlds.html June 12, 2006閲覧。 
  5. ^ “Wayne Munn, Former Mat Champ, dies; Beat Lewis in 1925; Lost to Zbyszko”. The Milwaukee Sentinel. (January 9, 1931). https://news.google.com/newspapers?id=CmZQAAAAIBAJ&sjid=Cg8EAAAAIBAJ&pg=4993,1576896&dq=wayne-munn&hl=en 
  6. ^ Wayne Munn, Ex Champion Wrestler of World, Is Dead”. Classic Wrestling Articles. 2018年9月19日閲覧。

参考文献

[編集]
  • ビークマン、スコット。リングサイド:アメリカのプロレスの歴史。コネチカット州ウェストポート:Greenwood Publishing Group、2006年。ISBN 0-275-98401-XISBN 0-275-98401-X
  • グリーンバーグ、キースエリオット。プロレス:カーニバルからケーブルテレビまで。ミネアポリス:Lerner Publications、2000年。ISBN 0-8225-3332-4ISBN 0-8225-3332-4
  • ホーンベイカー、ティム。 National Wrestling Alliance:プロレスを絞め殺した独占の秘話。トロント:ECW Press、2007年。ISBN 1-55022-741-6ISBN 1-55022-741-6

外部リンク

[編集]