ウィーン条約 (1656年)
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神聖ローマ皇帝フェルディナント3世 | |
種類 | 同盟条約 |
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起草 | 1656年12月1日 |
署名 | 1657年3月30日 |
署名場所 | ウィーン |
署名国 | 神聖ローマ皇帝フェルディナント3世 ヤン2世カジミェシュ |
締約国 | ハプスブルク家 ポーランド・リトアニア共和国 |
ウィーン条約(ウィーンじょうやく、英語: Treaty of Vienna)は北方戦争中の1656年12月1日に締結された、ハプスブルク家とポーランド・リトアニア共和国の同盟条約[1]。ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝 フェルディナント3世は反スウェーデン側で参戦することに同意し、ポーランド王ヤン2世カジミェシュに援軍4千を提供した[1]。しかし、ヤン2世はより大規模な援軍に期待していたため彼は条約に失望した。さらにフェルディナント3世が条約への署名から3日後に死去したため条約が実効を持つことはなかった[1]。後任の皇帝レオポルト1世は翌年に再びウィーン条約を締結した[1]。