ウィレム・ボルガー
ウィレム・ボルガー(Willem Michielsz. Volger、1602年 アケルスルート(Akersloot)生 - 1679年1月9日フーグリー(Hooghly)没)は、オランダ東インド会社の社員で第32代および34代のオランダ商館長。
経歴
[編集]ボルガーは、1636年5月に東インド会社のスートフェン号(Sutphen)の船員となり、急速に昇進していった。1638年にはコロマンデルで商館助手、1644年には商館員となった。やがてカシンバザール(Cazimbesar)の責任者となり、絹の産地であるフーグリの小さな商館を任された。ベンガルの商館の重要性は増していた。1653年にはバタヴィアに転勤となった。その後一旦オランダ本国に戻った。1662年にはモザンビークに向かい、ポルトガルに対抗した。1663年にジャワに戻った後、すぐに出島の商館長に任命された。当時の規定に従い、1年後には日本を離れたが、1665年には再び出島の商館長となった。この際は長期滞在を期待して妻を伴ったがそれはかなわず、1年後に次席であったダニエル・シックスを商館長に任命して長崎を離れた。
1666年9月、五島列島に8人のヨーロッパ人が上陸したが、これは13年間幽閉されていた朝鮮から脱出してきたヘンドリック・ハメルらの一行であった。ボルガーとシックスは朝鮮に幽閉されていた他のオランダ人7人も解放させた。1667年にはスマトラのジャンビの責任者となり、続いてインドの臨時評議員を務めた。1670年にはスーラトの長官に任命されたが、病気のため着任は遅れた、1672年、妻を伴ってスーラトに赴任しそこに4年間滞在した。その後西ベンガルの評議員に任命されたが、まもなく死亡した。
参考文献
[編集]- Opstall, M. E. van (1986) 'From Alkmaar to Ayudhya and back'. In: All of one company: The VOC in biographical perspective, ed. R. Ross and G. Winius (Utrecht: HES)
先代 ヘンドリック・インディヤック |
オランダ商館長(第32代) (1663年10月20日-1664年11月7日 |
次代 ヤコブ・フルイス |
先代 ヤコブ・フルイス |
オランダ商館長(第34代) 1665年10月28日-1666年10月27日 |
次代 ダニエル・シックス |