ウィル・フラー (クォーターバック)
Will Furrer | |||||||||||||||||
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基本情報 | |||||||||||||||||
ポジション | クォーターバック | ||||||||||||||||
生年月日 | 1968年2月5日(56歳) | ||||||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ダンビル | ||||||||||||||||
身長: | 6' 3" =約190.5cm | ||||||||||||||||
体重: | 210 lb =約95.3kg | ||||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||||
大学 | バージニア工科大学 | ||||||||||||||||
NFLドラフト | 1992年 / 4巡目全体107位 | ||||||||||||||||
初出場年 | 1992年 | ||||||||||||||||
初出場チーム | シカゴ・ベアーズ | ||||||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||||||
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NFL 通算成績 | |||||||||||||||||
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Player stats at PFR |
ウィル・フラー(Will Furrer、1968年2月5日 - )は、ペンシルベニア州ダンビル出身の元アメリカンフットボール選手。現役時代のポジションはクォーターバック。
経歴
[編集]高校時代はワシントン州南東部のパルースにあるプルマン高校に通い、1986年に卒業した。高校2年までは野球をしており、アメリカンフットボール経験の無かった彼は、高校3年の時にQBとなった。翌年最終学年のときに、後にNFL入りするティム・ローゼンバックの控えを務めた。
バージニア工科大学では歴代3位のパス記録を持っている。通算16勝18敗1分と先発QBとしては負け越しているが、2015年に大学のスポーツ殿堂入りを果たした。
1991年シーズン開幕前、全米で2番目に優秀なQBと目されていたが、9試合で16インターセプト、さらにひざの故障もあり、評価を落とし、デビッド・クリングラー、リック・マイアー、マット・ブランディン、ケイシー・ウェルドンに次いで5番目に優秀なQBと評価を落とした[1]。
1992年のNFLドラフト4巡でシカゴ・ベアーズに指名された。その年のQBでは5人目の指名であった。
1年目の1992年は、シカゴ・ベアーズで先発1試合を含む2試合に出場、1993年はアリゾナ・カージナルス、1994年はデンバー・ブロンコス、1995年はNFLヨーロッパのアムステルダム・アドミラルズとヒューストン・オイラーズ、1997年はセントルイス・ラムズに所属した[2]。
1997年、ラムズではトニー・バンクス、マーク・リッピンに次ぐ第3QBで試合出場はなかった[2]。
1998年、トニー・バンクス、スティーブ・ボノに次ぐ第3QBの座をカート・ワーナーと争ったがロースターに残ることができなかった[3]。12月14日、テネシー・タイタンズ戦でひざを負傷したジェイミー・マーティンの代役として、ジャクソンビル・ジャガーズと契約を結んだ[2]。
1997年までの5シーズンでNFLの5チームに所属し、先発2試合を含む9試合に出場、パス124回中57回成功、572ヤード、2TD、10INTの成績を残している[2]。
脚注
[編集]- ^ Dave Johnson (1991年12月25日). “FURRER CHASES CHANCE”. デイリー・プレス. 2020年1月10日閲覧。
- ^ a b c d “JAGUARS SIGN QB WILL FURRER; MARTIN, SETTLES PLACED ON INJURED RESERVE”. ジャクソンビル・ジャガーズ (1998年12月14日). 2020年1月11日閲覧。
- ^ Jim Thomas (2017年7月31日). “Discovering Kurt Warner: Story reads more like a movie script”. ST.LOUIS POST-DISPATCH. 2020年1月16日閲覧。
外部リンク
[編集]- 通算成績と情報 NFL.com, or ESPN, or Pro-Football-Reference