ウィルブラハム・エジャートン (初代エジャートン伯爵)
初代エジャートン伯爵ウィルブラハム・エジャートン(Wilbraham Egerton, 1st Earl Egerton、1832年1月17日 – 1909年3月16日)は、イギリスの貴族。保守党の政治家。エジャートン家出身であり、政治家としては庶民院議員を、実業家としてはマンチェスター・シップ運河社長を務めた[1]。
生涯
[編集]初代エジャートン男爵ウィリアム・タットン・エジャートンと妻シャーロット・エリザベス(1811年4月22日 – 1878年9月11日、第2代イーリー侯爵ジョン・ロフタスの娘)の息子として、1832年1月17日に生まれ、チェシャーのロスサーンで洗礼を受けた[1]。1845年から1850年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1850年5月23日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1854年にB.A.、1862年にM.A.の学位を修得した[2]。
1851年5月1日、チェシャー・ヨーマンリー連隊の中尉に任命された[3]。1863年5月5日に大尉に昇進[4]、1881年7月1日に少佐の名誉階級を与えられた[5]。1887年5月4日にヨーマンリー連隊から辞任した[6]。1882年3月29日、チェシャーの副統監に任命された[7]。1900年3月19日にチェシャー統監に任命され[8]、1905年まで務めた[1]。1883年時点でチェシャーに8,876エーカー、ランカシャーに1,870エーカー、ダービーシャーに424エーカー、ダラム州に389エーカーの領地を所有し、合計で年収32,490ポンドに相当した[1]。
1858年8月、父の議員辞任に伴いノース・チェシャー選挙区で補欠選挙が行われると、エジャートンは保守党候補として出馬、無投票で当選した[9]。1859年、1865年の総選挙でも無投票で再選した[9]。第2回選挙法改正でノース・チェシャー選挙区が分割されると[9]、1868年イギリス総選挙でミッド・チェシャー選挙区から出馬、3,063票(得票数1位)で当選した[10]。1874年イギリス総選挙では無投票、1880年イギリス総選挙では3,868票(得票数1位)で再選した[10]。
1883年2月21日に父が死去すると、エジャートン男爵位を継承した[1]。1887年にイングランド王立農業協会会長、1887年から1894年までマンチェスター・シップ運河社長を務めた[1]。
フリーメイソンの1人であり、1886年から1900年までチェシャー州フリーメイソンのグランドマスターを務めた[11]。
農業と馬の飼育に興味を持ったほか、敬虔に教会に通う人物だった[1]。
1897年7月22日、連合王国貴族であるランカスター州におけるサルフォード子爵、チェスター州タットンにおけるエジャートン伯爵に叙された[1][12]。
1909年3月16日にイタリア王国ボルディゲーラで死去、25日にロスサーンで埋葬された[1]。エジャートン伯爵位は廃絶、エジャートン男爵位は弟アランが継承した[1]。
家族
[編集]1857年10月15日、メアリー・サラ・アマースト(Mary Sarah Amherst、1837年5月8日 – 1892年12月17日、第2代アマースト伯爵ウィリアム・アマーストの娘)と結婚[1]、1女をもうけた[11]。
- ガートルード・ルシア(1861年1月9日 – 1943年6月7日) - 1881年1月4日、第8代アルベマール伯爵アーノルド・ケッペルと結婚、子供あり[13][14]
1894年8月8日、アリス・アン・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル(Alice Anne Temple-Nugent-Brydges-Chandos-Grenville、1847年9月29日 – 1931年9月15日[15]、第3代準男爵サー・グラハム・グラハム=モンゴメリーの娘、第3代バッキンガム=シャンドス公爵リチャード・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィルの未亡人)と再婚した[1]。アリス・アンは再婚後も「バッキンガム公爵夫人」の称号を使用し[1]、2人の間に子供はいなかった[11]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 17.
- ^ Foster, Joseph (1888–1892). . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 2. Oxford: Parker and Co. p. 416. ウィキソースより。
- ^ "No. 21209". The London Gazette (英語). 13 May 1851. p. 1264.
- ^ "No. 22736". The London Gazette (英語). 15 May 1863. p. 2572.
- ^ "No. 25010". The London Gazette (英語). 30 August 1881. p. 4454.
- ^ "No. 25697". The London Gazette (英語). 3 May 1887. p. 2445.
- ^ "No. 25095". The London Gazette (英語). 14 April 1882. p. 1700.
- ^ "No. 27175". The London Gazette (英語). 20 March 1900. p. 1876.
- ^ a b c Craig, F. W. S. (1989) [1977]. British parliamentary election results 1832–1885 (英語) (2nd ed.). Chichester: Parliamentary Research Services. p. 360. ISBN 0-900178-26-4。
- ^ a b Craig, F. W. S. (1989) [1977]. British parliamentary election results 1832–1885 (英語) (2nd ed.). Chichester: Parliamentary Research Services. p. 361. ISBN 0-900178-26-4。
- ^ a b c Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 873.
- ^ "No. 26878". The London Gazette (英語). 30 July 1897. pp. 4269–4270.
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 96.
- ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 17. ISBN 978-0-7509-0154-3。
- ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 298. ISBN 978-0-7509-0154-3。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Hon. Wilbraham Egerton
- ウィルブラハム・エジャートン - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- ウィルブラハム・エジャートンの著作 - インターネットアーカイブ内のOpen Library
- "ウィルブラハム・エジャートンの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ウィリアム・エジャートン ジョージ・コーンウォール・リー |
庶民院議員(ノース・チェシャー選挙区選出) 1858年 – 1868年 同職:ジョージ・コーンウォール・リー |
選挙区廃止 |
新設選挙区 | 庶民院議員(ミッド・チェシャー選挙区選出) 1868年 – 1883年 同職:ジョージ・コーンウォール・リー 1868年 – 1873年 エジャートン・リー 1873年 – 1876年 ピアース・エジャートン=ウォーバートン 1876年 – 1883年 |
次代 ピアース・エジャートン=ウォーバートン アラン・エジャートン閣下 |
名誉職 | ||
先代 初代ウェストミンスター公爵 |
チェシャー統監 1900年 – 1905年 |
次代 第2代ウェストミンスター公爵 |
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ランカシャー・アンド・チェシャー考古協会会長 1885年 – 1886年 |
次代 第26代クロフォード伯爵 |
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爵位創設 | エジャートン伯爵 1897年 – 1909年 |
廃絶 |
先代 ウィリアム・エジャートン |
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次代 アラン・エジャートン |