ウィルトン伯爵
ウィルトン伯爵 Earl of Wilton | |
---|---|
Arms: Quarterly: 1st, Azure, a Garb Or (Grosvenor); 2nd, Argent, a Lion rampant Gules, between three Pheons ponts downwards Sable (Egerton); 3rd, Barry of six Argent and Azure, a Label of five-points Gules (Grey de Wilton); 4th, Argent, a Mullet Sable, pierced Argent (Assheton). Crest: A Talbot statant Or. Supporters: On either side a Talbot reguardant Or, collared and charged on the shoulder with a Mullet Azure.
| |
創設時期 | 1801年6月26日 |
創設者 | ジョージ3世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代伯トマス・エジャートン |
現所有者 | 8代伯フランシス・グローヴナー |
推定相続人 | グレイ・ド・ウィルトン子爵ジュリアン・グローヴナー |
相続資格 | 初代伯の男子及び男子なき場合は初代伯の娘のヤンガーソン with remainder, failing the heirs male of his body "to his grandson, Thomas Grosvenor, second son of Eleanor, his daughter, wife of Robert Grosvenor, commonly called Viscount Belgrave, and his issue male, failing which to Robert, third son, and to the fourth and every other son of the said Eleanor by the said Robert Grosvenor or any future husband. |
付随称号 | グレイ・ド・ウィルトン子爵 エブリー男爵 |
現況 | 存続 |
旧邸宅 | エルキントン・ホール |
モットー | 家柄ではなく美徳を (VIRTUS NON STEMMA) |
ウィルトン伯爵(英: Earl of Wilton)は、イギリスの伯爵、貴族。連合王国貴族爵位。1801年にトマス・エジャートンが叙されたことに始まる。
歴史
[編集]エジャートン家は中世以来、チェシャー州に位置するオールトン荘園(Oulton Estate)の地主を務めてきた一族で、その祖ローランド・エジャートン(?-1646)が1617年にイングランド準男爵位の(チェシャー州オールトン及びエジャートンの)準男爵(baronetcy, of Egerton and Oulton in the county of Chester)に叙されたことを発端とする[1][2]。
彼の玄孫にあたる第7代準男爵トマス(1749–1814)は1784年にグレートブリテン貴族としてヘレフォード州ウィルトン城のグレイ・ド・ウィルトン男爵(Baron Grey de Wilton, of Wilton Castle in the County Hereford)に叙された[3]。爵位名は前述のローランド・エジャートンの妻ブリジットがグレイ・ド・ウィルトン男爵家[註釈 1]の出身であったことに由来する[2]。
ついで初代男爵は1801年に連合王国貴族としてウィルトン伯爵(Earl of Wilton)に陛爵するとともに、グレイ・ド・ウィルトン子爵(Viscount Grey de Wilton)に叙せられた[4][5][6]。この2つの爵位にはいずれも特別継承権が付されており、初代男爵に男子なき場合はその娘イリナのヤンガーソン(すなわち彼の孫)に承継できるという内容であった[4][6][註釈 2]。
初代伯が男子なく死去すると、伯爵位は特別継承権に基づいて彼の娘の次男トマス・グローヴナーに承継された[6]。一方で、男系継承を求めるグレイ・ド・ウィルトン男爵は廃絶、準男爵位は親族のジョン・グレイ・エジャートン(1766–1825)が相続した[2]。(→以降の詳細な歴史はグレイ・エジャートン準男爵を参照)
2代伯トマス(1799–1882)はトーリー党の政治家で、枢密顧問官(PC)やピール内閣下の宮内長官を歴任した[7][8]。また彼は襲爵後の1821年に勅許を得て、「エジャートン」姓に改姓している[6][9]。
3代伯アーサー(1833-1885)はウェイマス及びバース選挙区選出の庶民院議員を務めたほか、引退後の1875年に連合王国貴族としてランカスター王権伯領におけるグレイ・ド・ラドクリフ男爵(Baron Grey de Radcliffe, in the County Palatine of Lancaster)に叙されたが彼には子がなかったため、この爵位は彼一代で廃絶した。その後は、彼の弟シーモアが爵位を承継した[6][10][11]。
以降は4代伯シーモア(1839–1898)の系統で爵位は継承されたが、そのひ孫にあたる7代伯シーモア(1921-1999)が嗣子なく没したため、2代伯トマスの系統は断絶した[6]。
そのため、2代伯の弟ロバートの家系であるエブリー男爵家に爵位は流出し、第6代エブリー男爵フランシス・エジャートン・グローヴナーが爵位を相続した[6]。(→以前の歴史は、エブリー男爵を参照。)
2022年現在、彼がウィルトン伯爵家当主である。
一族のかつての邸宅は、リンカンシャー州ラウスに所在したエルキントン・ホール(Elkington Hall)であった[5]。
現当主の保有爵位
[編集]現当主である第8代ウィルトン伯爵フランシス・エジャートン・グローヴナーは以下の爵位を有する。
- 第8代ウィルトン伯爵(8th Earl of Wilton)
(1801年6月26日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第8代グレイ・ド・ウィルトン子爵(8th Viscount Grey de Wilton)
(1801年6月26日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第6代ミドルセックス州エブリー・マナーのエブリー男爵(6th Baron Ebury, of Ebury Manor in the County of Middlesex)
(1857年9月15日の勅許状による連合王国貴族爵位)
ウィルトン伯爵(1801年)
[編集]- 初代ウィルトン伯爵トマス・エジャートン(1749–1814)
- 第2代ウィルトン伯爵トマス・エジャートン(1799–1882)
- 第3代ウィルトン伯爵アーサー・エドワード・ホランド・グレイ・エジャートン(1833-1885)
- 第4代ウィルトン伯爵シーモア・ジョン・グレイ・エジャートン(1839–1898)
- 第5代ウィルトン伯爵アーサー・ジョージ・エジャートン(1863–1915)
- 第6代ウィルトン伯爵シーモア・エドワード・フレデリック・エジャートン(1896–1927)
- 第7代ウィルトン伯爵シーモア・ウィリアム・アーサー・ジョン・エジャートン(1921-1999)
- 第8代ウィルトン伯爵フランシス・エジャートン・グローヴナー(1934–) - 第5代エブリー男爵ロバート・エジャートン・グローヴナーの息子[12]。
爵位の法定推定相続人は、現当主の一人息子であるグレイ・ド・ウィルトン子爵(儀礼称号)ジュリアン・フランシス・マーティン・グローヴナー(1959–)。
脚注
[編集]註釈
[編集]- ^ ブリジットは第15代グレイ・ド・ウィルトン男爵トマス・グレイの妹にあたる。同男爵は1295年創設の古いイングランド貴族爵位だったが、15代男爵トマスが国王誘拐未遂事件、(バイ陰謀事件)に関与したとして私権剥奪処分を受けた際に爵位も没収された。
- ^ イリナの長男は父方よりウェストミンスター侯爵位を、ヤンガーソンの次男は本爵位を継承した。また三男もエブリー男爵に叙せられている。
出典
[編集]- ^ “George Edward Cokayne Complete Baronetage, Volume 1 1900”. 2019年12月7日閲覧。
- ^ a b c “Egerton, of Egerton and Oulton, co. Chester (E Baronet, 1617)”. Cracroft's Peerage. 2019年12月7日閲覧。
- ^ "No. 12541". The London Gazette (英語). 11 May 1784. p. 1.
- ^ a b "No. 15375". The London Gazette (英語). 13 June 1801. p. 657.
- ^ a b “Debrett's peerage, and titles of courtesy”. London, Dean,(1921),p=930. 2019年12月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Wilton, Earl of (UK, 1801)”. Cracroft's Peerage. 2019年12月7日閲覧。
- ^ "No. 19242". The London Gazette (英語). 20 February 1835. p. 308.
- ^ "No. 19227". The London Gazette (英語). 6 January 1835. p. 24.
- ^ "No. 17769". The London Gazette (英語). 1 December 1821. p. 2344.
- ^ “Debrett's peerage, and titles of courtesy”. London, Dean,(1921),p=932. 2019年12月7日閲覧。
- ^ "No. 24215". The London Gazette (英語). 4 June 1875. p. 2903.
- ^ http://thepeerage.com/p3143.htm#i31428