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ウィルソン・ワトソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィルソン・D・ワトソン
Wilson Douglas Watson
渾名 「ダグ」(Doug)
「硫黄島の1人連隊」("One-Man Regiment" of Iwo Jima)
生誕 (1922-02-16) 1922年2月16日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アラバマ州タスカンビア
死没 1994年12月19日(1994-12-19)(72歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アーカンソー州ラッセルビル英語版
所属組織 アメリカ海兵隊
アメリカ陸軍
軍歴 1942年 - 1946年(海兵隊)
1946年 - ?(陸軍航空軍)
? - 1966年(陸軍)
最終階級 二等兵(Private, 海兵隊)
二等軍曹(Staff Sergeant, 陸軍)
墓所 ラッセル墓地
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ウィルソン・ダグラス・ワトソン(Wilson Douglas Watson, 1922年2月16日 - 1994年12月19日)は、アメリカ合衆国の軍人。第二次世界大戦中、アメリカ海兵隊の隊員として硫黄島の戦いに従軍した。彼は自らの小隊を前進させる為、1人で敵兵90人を殺害して「硫黄島の1人連隊」("One-Man Regiment" of Iwo Jima)の異名をとった。彼はこの戦功から名誉勲章を受章している。戦後はアメリカ陸軍に再入隊を果たした。最終階級は二等軍曹[1][2]

経歴

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1922年、父チャールズ・ワトソンと母エイダ・ワトソンの元、アラバマ州タスカンビアに生を受ける[3]。彼は12人兄弟の1人で、男兄弟は8人、女兄弟は3人いた。学校に7年通った後は父の農場で働いていた。1942年8月6日、アーカンソー州リトルロックにて海兵隊に入隊。カリフォルニア州サンディエゴ志願兵訓練所英語版で基礎訓練を終え、1943年1月24日に海外派遣が決定した。以後、ブーゲンビル島の戦いガダルカナル島の戦いグアムの戦いなどに参加した[4][5]

1945年、彼は第3海兵師団第9海兵連隊英語版第2大隊英語版G中隊[6]自動小銃手(automatic rifleman)として配属され、硫黄島の戦いに参加する。そして1945年2月26日から27日にかけての戦闘で示した英雄的な働きから名誉勲章の授与が決定した。彼は単独で90人もの日本兵を殺害し、釘付けにされていた自らの小隊を再び前進させたのである。この戦闘で彼は7度撃たれ、肩には迫撃砲の砲弾片が突き刺さっていた。1945年3月2日、首に銃撃を受け、治療の為に硫黄島を離れた。

1945年10月5日、ホワイトハウスにてハリー・S・トルーマン大統領からワトソンへ名誉勲章の授与が行われた。

1946年に海兵隊を除隊した後、アメリカ陸軍航空軍を経てアメリカ陸軍に再入隊し、食堂付料理人たる兵卒として勤務した。1966年に陸軍を退役するまでに二等軍曹へ昇進した。

彼は結婚しており、妻パトリシア(Patricia)との間に2人の子供、リッキー(Ricky, 1953年)とダーレン(Darlene, 1962年)がいた。

1995年12月19日、アーカンソー州ラッセルビルにて死去。

名誉勲章勲記

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ワトソンに授与された名誉勲章の勲記には、次のように記されている。

1945年2月26日から27日にかけて、硫黄島において彼が第3海兵師団第9海兵連隊第2大隊付自動小銃手として果たした、課せられた義務を凌駕する類稀なる武勇と自らの命をも顧みない勇敢に捧ぐ。分隊が前進線に指定されていた岩山へ移動している最中、突然岸壁上の敵陣から銃撃を受け足止めされた時、ワトソン二等兵は大胆にもトーチカの1つへと掛けより銃眼に自動小銃を突き入れ銃撃を行い単身で敵を釘付けにした上、自軍小隊の任務を達成させるべく、トーチカに手榴弾を投げ入れてからその後方に回って逃げ出してきた日本兵を全て倒した。その後、小高い丘の敵陣からの銃撃が始まり再び部隊が釘付けにされると、迫撃砲弾と機関銃弾が降り注ぐ中、彼は勇敢にもジグザグに丘を駆け上り、腰だめ射撃を行いつつ弾薬手と共に丘の頂上への突撃を敢行した。逆側の斜面にいる日本軍部隊から手榴弾や擲弾筒での反撃が始まっても、彼は恐れることなく、隠れもせずにおよそ15分間も敵塹壕を銃撃し続け、自動小銃の弾が切れた頃には60人の日本兵が死に、小隊が彼に追いついていた。壊滅的な劣勢に対して彼が示した勇敢と闘争心は小隊の前進を実現し、また、この激戦を経て彼が発揮した感動的なリーダーシップは、ワトソン二等兵自身とアメリカ海軍が誇る最高の名声を改めて示したのである。

大衆文化

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西部劇映画や戦争映画に数多く出演した俳優ジョン・ウェインは、劇中で銃を使う際に腰だめ撃ちを好んだ事で知られる。これはワトソンからの影響を受けてのものだったという[7]

脚注

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パブリックドメイン この記事にはパブリックドメインである、アメリカ合衆国連邦政府のウェブサイトもしくは文書本文を含む。

  1. ^ A Hero Among Us”. World War II Magazine (May 2005). May 25, 2006時点のオリジナルよりアーカイブ。May 18, 2006閲覧。 “A letter about Watson's service in the Army”
  2. ^ Third Marine Division Medal of Honor recipients”. November 26, 2005時点のオリジナルよりアーカイブ。May 18, 2006閲覧。
  3. ^ Private WATSON, WILSON DOUGLAS”. Congressional Medal of Honor Society. 13 November 2013閲覧。
  4. ^ Wilson Douglas Watson”. Who's Who in Marine Corps History. History Division, United States Marine Corps. October 5, 2010閲覧。
  5. ^ 6th Marine Regiment - Units - 2nd Battalion, 9th Marines”. United States Marine Corp. 13 November 2013閲覧。
  6. ^ 3rd Marine Division Medal of Honor recipients”. The Third Marine Division Association. July 15, 2006閲覧。 [リンク切れ]
  7. ^ The Bizarre Conversation of Representatives Robert K. Dornan (R - CA) and James M. Talent (R - MO)”. Esquilax.com (23 February 1995). 19 March 2014閲覧。