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ウィリー・パストラーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィリー・パストラーノ
基本情報
本名 ウィルフレド・ラレイフ・パストラーノ
階級 ライトヘビー級
身長 173cm
リーチ 183cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1935-11-27) 1935年11月27日
出身地 ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没日 (1997-12-06) 1997年12月6日(62歳没)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 83
勝ち 62
KO勝ち 14
敗け 13
引き分け 8
無効試合 0
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ウィリー・パストラーノWillie Pastrano 1935年11月27日 - 1997年12月6日)は、アメリカ合衆国男性プロボクサールイジアナ州ニューオーリンズ出身。元WBAWBC世界ライトヘビー級統一王者

来歴

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1951年9月10日、パストラーノはプロデビューを果たし4回判定勝ちを収め白星でデビューを飾った。

1952年4月21日、アルビン・ペレグリーニと対戦し4回引き分けに終わった。

1952年7月22日、アル・マッコーリーと対戦し2回KO勝ちを収めた。

1952年8月5日、ソニー・ルシアーノと対戦し8回判定勝ちを収めた。

1952年8月19日、ソニー・ルシアーノと2週間ぶりに対戦し8回判定勝ちを収めた。

1952年9月8日、ジョニー・キャピターノと対戦し6回判定勝ちを収めた。

1952年10月6日、アルヴィン・ペテグリーニと対戦し初黒星となる6回判定負けを喫した。

1952年11月17日、アルヴィン・ペテグリーニと1ヶ月ぶりに対戦し6回判定勝ちを収めた。

1952年12月15日、アルヴィン・ペテグリーニと3度目の対戦を行い8回引き分けに終わった。

1953年3月3日、チャック・ブーチャーと対戦し3回1分8秒TKO勝ちを収めた。

1953年5月25日、ジョニー・セザリオと対戦し8回0-2の判定負けを喫した。

1953年7月14日、デル・フラナガンと対戦し8回2-1の判定勝ちを収めた。

1953年9月22日、エミール・ベルテスと対戦し10回引き分けに終わった。

1953年10月5日、エミール・ベルテスと1ヶ月ぶりに再戦し8回2-0の判定勝ちを収めた。

1953年11月30日、イターロ・スコリッチーニと対戦し10回1-2の判定負けを喫した。

1954年3月29日、ジミー・マルチネスと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1954年4月12日、ジャクエス・ロイヤル・クレキーと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1954年8月9日、トミー・バザーノと対戦し8回TKO勝ちを収めた。

1954年8月24日、ジミー・マルチネスと5ヶ月ぶりに対戦し10回判定勝ちを収めた。

1954年9月14日、ジャッキー・ラブアト対戦し10回2-1の判定勝ちを収めた。

1954年11月23日、ボビー・ディケスと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1955年3月1日、トニー・ジョンソンと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1955年3月23日、シカゴ・スタジアムでアル・アンダーソンと対戦し10回3-0(2者が100-90、96-93)の判定勝ちを収めた。

1955年4月22日、ウィーリー・トロイと対戦し10回1-0(96-96、94-94、95-90)の引き分けに終わった。

1955年6月28日、元世界ライトヘビー級王者ジョーイ・マキシムと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1955年7月27日、ジャック・スペンサーと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1955年10月3日、パディー・ヤングと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1955年11月18日、ジョー・ローワンと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1955年12月19日、レックス・ラインと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1956年1月17日、ジャック・スペンサーと6ヶ月ぶりに再戦し10回引き分けに終わった。

1956年4月4日、ジョニー・アーサーと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1956年8月24日、パット・マクアーティーと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1957年6月11日、ロイ・ハリスと対戦し5年ぶりの敗戦となる10回判定負けを喫した。

1957年10月22日、ディック・リチャードソンと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1957年11月27日、ウィリー・ベスマンノフと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1958年9月30日、ブライアン・ロンドンと対戦し5回TKO負けを喫した。

1959年2月24日、ジョー・エスキーと対戦し10回判定負けを喫した。

1960年1月20日、ジェリー・ルーディーと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1960年6月1日、ソニー・レイと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1960年9月16日、チック・カルダーウッドと対戦し10回判定負けを喫した。

1960年12月27日、ジェシー・ボウディーと対戦し10回判定負けを喫した。

1961年8月6日、けがの影響があって8ヶ月ぶりの復帰戦。レナント・ライズベルグと対戦し12回引き分けに終わった。

1962年5月1日、トム・マックネーリと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1962年5月28日、元世界ライトヘビー級王者アーチー・ムーアと対戦し10回引き分けに終わった。

1962年9月8日、ロドルフォ・ディアスと対戦し10回2-1の判定勝ちを収めた。

1963年2月9日、ウェイン・トールトンと対戦し10回2-0の判定負けを喫した。

1963年3月23日、ウェイン・トールトンと1ヶ月ぶりに対戦し10回引き分けに終わった。

1963年5月4日、ウェイン・トールトンと3戦目を行い10回2-0の判定勝ちを収めた。

1963年6月1日、世界ライトヘビー級王者ハロルド・ジョンソンラスベガス・コンベンション・センターで対戦し15回2-1の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

1963年9月20日、マイアミのマイアミ・ビーチ・コンベンション・センターでグレゴリオ・ペラルタと対戦し現役世界王者として屈辱の10回判定負けを喫した。

1963年11月30日、ヨハネスブルクのランド・スタジアムでマイク・ホルトと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1964年4月10日、ムニシパル・アウディトリウムでグレゴリオ・ペラルタと7ヶ月ぶりに対戦し5回終了TKO勝ちを収めWBA王座とWBC王座の初防衛に成功した。

1964年11月30日、テリー・ダウンズとマンチェスターのキングス・ホールで対戦し11回1分17秒TKO勝ちを収めWBA王座とWBC王座の2度目の防衛に成功した。

1965年3月30日、マディソン・スクエア・ガーデンホセ・トーレスと対戦。6回にダウンを奪われるなど終始トーレスのペースで進められてしまい9回終了と同時にレフェリーがストップ。9回終了TKO負けを喫しWBA王座とWBC王座の3度目の防衛に失敗し王座から陥落した。この試合を最後に現役を引退した。

引退後は故郷ニューオーリンズでマネージャーを務める等多くのボクサーの相談相手を務めた。

晩年は健康状態が思わしくない状態が続き1997年12月6日、肝臓癌の為亡くなった。62歳没。

獲得タイトル

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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前王者
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WBA世界ライトヘビー級王者

1963年6月1日 - 1965年3月30日

次王者
ホセ・トーレス
前王者
ハロルド・ジョンソン
WBC世界ライトヘビー級王者

1963年6月1日 - 1965年3月30日

次王者
ホセ・トーレス