ウィリアム・ラングソン・レイスロップ
ウィリアム・ラングソン・レイスロップ William Langson Lathrop | |
---|---|
レイスロップ作「The Bonfire」(1921) | |
生誕 |
1859年3月29日 アメリカ合衆国、 ペインスヴィル(Painesville) |
死没 |
1938年9月21日 アメリカ合衆国、Montauk, New York |
ウィリアム・ラングソン・レイスロップ(William Langson Lathrop、1859年3月29日 - 1938年9月21日)はアメリカ合衆国の画家である。ペンシルベニア州のニューホープ地域に集まって活動したアメリカの「印象派」の画家の一人である。[1]「ペンシルベニアの印象派画家」と呼ばれることもある画家で、印象派のスタイルで風景画を描いた。
略歴
[編集]オハイオ州のペインスヴィル(Painesville)の農家に生まれた。1870年代にニューヨークでイラストレーターや版画家として美術的な仕事をはじめたが、十分な収入が得られなかった。1880年にヨーロッパを旅し、ヨーロッパで出会った女性と結婚し、アメリカに戻ったが、経済的事情で美術から遠ざかった。友人に説得されて、ニューヨークの伝統のある展覧会に水彩画を出展して、最高賞を受賞し、「ニューヨークタイムズ」に絶賛された評価が掲載されて画家としてのキャリアが始まった。
1899年にフィラデルフィアから50kmばかり離れたバックス郡のデラウェア川沿いの村、ニューホープ(New Hope)に移った。他の芸術家もその地域に集まるようになり「戸外制作」を行い風景画を描いた[2]。弟子とともに、「サンシャイン」という名前のはしけで、デラウェア運河に出て、運河沿いの風景も描いた。30年間にわたってニューホープ地域の風景画を描き、明るい色使いが特徴となった。
1916年にニューホープの近くに住む芸術家、チャールズ・ローゼン、ダニエル・ガーバー、モーガン・コルト、レイ・ブレディンやロバート・スペンサーらと「ニューホープ・グループ」(New Hope Group)として、グループ展を開き、翌年も展覧会を開いた。この地域に住んでいて当時、最も有名だったエドワード・レッドフィールドは参加しなかった。このグループ展はシンシナティやデトロイト、ニューヨークなどの美術館、画廊で開かれた[3]。ニューホープの自宅前の砕石小屋を改装して展示場とした。レイスロップの妻はこの地を訪れる芸術家をもてなした。
1920年代に20フィートの長さのボートを手作りして「The Widge」と名づけ、友人とデラウェア川を航行させて楽しんだ。大西洋沿岸を航行させたこともあった。有名な物理学者のアインシュタインを乗せたこともあった。1938年に嵐の予測の中、ボートを安全な入り江に移す作業中に海に落ち遺体は1月後に回収された。目撃者は心臓マヒをおこした可能性を示唆した。
作品
[編集]-
「夏の午後」(1915)
-
"Ely's Bridge"
-
"The Tow Path"
-
"October Evening"
参考文献
[編集]- ^ “William Langson Lathrop — Bucks County Artists — James A. Michener Art Museum”. Michener Art Museum
- ^ Thomas Folk, William L. Lathrop,: Tonalism to Impressionism, Emily Lowe Gallery, Hostra University, Hempstead, NY, November 14- January 3, 1982.
- ^ Thomas Folk, The Pennsylvania Impressionists, James Michener Museum and Associated University Presses, 1997, p.29.