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ウィリアム・フレドリック・プール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィリアム・フレドリック・プール
William Frederick Poole
アメリカ歴史協会会長
任期
1888
前任者ジャスティン・ウィンザー英語版
後任者チャールズ・ケンダル・アダムス英語版
アメリカ図書館協会会長英語版
任期
1885–1887
前任者ジャスティン・ウィンザー英語版
後任者チャールズ・エイミー・カッター英語版
個人情報
生誕 (1821-12-24) 1821年12月24日
セイラム, マサチューセッツ州
死没1894年3月1日(1894-03-01)(72歳没)
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
教育イェール大学
職業

ウィリアム・フレドリック・プール (William Frederick Poole、1821年12月24日 - 1894年3月1日) は、アメリカ合衆国司書書誌研究家である。

生涯

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ウィリアム・フレドリック・プールの父はマサチューセッツ州セーラムで毛織物商を営んでいて、裕福ではなかったが、プールは勉強熱心だった[1]。母親は大学へ進学させようとしたが、経済事情からプールは高校卒業後、教師の仕事で資金をため、イェール大学に進んだ[1]。彼は1849年にイェール大学を卒業したが、大学では学内団体ブラザーズ・イン・ユニティ英語版の学生であったジョン・エドマンズ英語版を補佐していた。ブラザーズ・イン・ユニティは多くの蔵書を持ち、プールはエドマンズの後任司書補となり、まだ学生であった1848年に154ページにわたる定期刊行物記事索引を出版した。524ページにわたる第2版は1853年に、1469ページに及ぶ第3版は1882年に刊行された[2]

彼は1851年にボストン・アテネウム英語版の司書補となり、1852年にはボストン・マーカンタイル・ライブラリー英語版の司書となった。1856年から1869年まではボストン・アテネウムの司書として、チャールズ・エヴァンス (司書)英語版ウィリアム・I・フレッチャー英語版キャロライン・ヘウィンズ英語版の薫陶を受けた[3]

プールは公共図書館運動のパイオニアであった。彼は1869年から1873年までシンシナティ・ハミルトン郡公共図書館英語版の最初の司書で、そこでは図書館を日曜にも開館するというアイデアの導入に成功した[4]。また1873年から1887年まではシカゴ公共図書館英語版最初の司書であった。

プールは合衆国全体の学術コミュニティの友人たちからの寄贈を集め、シカゴ最初の蔵書構築をすることができた。1871年のシカゴ大火で多くの書物が灰塵に帰したのだが、それから2年後には図書館が設立されたのである。

プールは1887年から1894年まで私立の研究図書館であるニューベリー図書館英語版の館長を務めた。彼が設計したビルは、シカゴの西ウォルトン通り60番地に現在も建っている[5]

彼は近代図書館運動の中心的存在であったが、彼のアイデアは結局彼を歴史の反対側へ据えることになった。彼は、コレクションはそれぞれユニークであり、司書はそのコレクションに合致した建物と目録を作るべきだと信じていた。分類を標準化するというアイデアには今日、彼と同時代のメルヴィル・デューイの名前が付けられている。

プールはアメリカ図書館協会会長を務め[6]アメリカ歴史協会の会長でもあった。1877年にはアメリカ稀覯書協会英語版の会員に選ばれた[7]。1876年設立のアメリカ図書館協会は、彼を「'76」の1人に選んだ[8]

プールの定期刊行物索引

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プールがイェール大学していた当時は、学生のレポート課題が発表されると、必要な典拠資料や参考文献を探しに学生が司書のプールの元へ殺到していた。そこでプールは対象の書籍と雑誌論文を調べ、一覧表を貼りだすようになった。この一覧表が役立つことが分かったので、彼は1年かけてブラザース・イン・ユニティの図書館所蔵の560誌を調査し、そこで扱われるトピックを書き出し、ABC順に並べ替えた。これが154ページにおよぶ主題索引で、当初は手書きだったが利用が頻繁だったので500部を印刷した。この索引は学内だけでなく海外からも関心を寄せられ、「外国からの注文だけで印刷部数を超えた」[9]

1848年に出版した最初の版は熱烈な支持を受けたので、学外の蔵書も対象に含め内容を充実させた索引第2版が1853年に出版された。プール自身はだんだん司書の仕事が忙しくなり、図書館が補遺を作成するようになった。1876年にはアメリカ図書館協会がこの索引のための特別委員会を設置し、多くの図書館の共同事業で索引作成に取り組むことになり、プールも参加し国内だけでなくイギリスの図書館も加わった事業が実施された。1882年出版の索引第3版は、さらに1907年まで5年ごとに補遺が出された[10]

プールは索引第3版の補遺が2つ出るのを見届けて没したが、同じような索引が他にも出版されるようになっていた。ロンドンではW.T. ステッドが1891年から1903年まで『定期刊行物索引』を年刊で出版した。アメリカ国内では1901年から『定期刊行物リーダーズガイド Reader's guide to periodical literature』[11]が刊行されている[12]

著作

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  • An alphabetical index to subjects, treated in the reviews, and other periodicals, to which no indexes have been published, 1848
  • An index to periodical literature, 1853
  • Cotton Mather and Salem Witchcraft, 1869
  • Anti-slavery opinions before the year 1800, 1873[13]
  • The ordinance of 1787, and Dr. Manasseh Cutler as an agent in its formation, 1876[14]
  • Poole's Index to Periodical Literature, 1888[15]
  • Columbus and the Founding of the New World, 1892

脚注

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  1. ^ a b デニス・ダンカン『索引 〜の歴史 : 書物史を変えた大発明』光文社、2023年8月、252頁。ISBN 978-4-334-10031-5 
  2. ^ Appleton's Cyclopaedia of American biography
  3. ^ George S. Bobinski. "William Isaac Fletcher, an Early American Library Leader." The Journal of Library History, v5n2, Apr 1970, pgs. 101–118.
  4. ^ “Library opening on Sunday; results in Cincinnati”. New York Times: p. 5. (1 July 1872) 
  5. ^ William Landram Williamson, William Frederick Poole and the Modern Library Movement', Columbia University Press, 1963.
  6. ^ ALA Presidents, Treasurers, Secretaries, and Executive Directors”. ala.org. 2024年1月17日閲覧。
  7. ^ American Antiquarian Society Members Directory
  8. ^ Foster, William E. (1926). Five men of '76. Chicago: American Library Association. (Justin Winsor, W.F. Poole, C.A. Cutter, Melvil Dewey and R.R. Bowker).
  9. ^ 『索引 〜の歴史』光文社、253-254頁。 
  10. ^ 『索引 〜の歴史』光文社、255-256頁。 
  11. ^ Readers' guide to periodical literature』H.W. Wilson、190-https://ci.nii.ac.jp/ncid/AA00370344 
  12. ^ 『索引 〜の歴史』光文社、258頁。 
  13. ^ Sabin, 64041; Lib. Company. Afro-Americana, 8294
  14. ^ Sabin, 64047
  15. ^ Poole, William Frederick、Fletcher, William Isaac『Poole's index to periodical literature, 1802-1881』Houghton, Mifflin、1893年https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA22898097 

参考文献

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