ウィリアム・ハンター (医学者)
ウィリアム・ハンター(William Hunter 、1718年5月23日 - 1783年3月30日)は、スコットランドの産科を専門とする医学者、解剖学者である。有名な外科医、ジョン・ハンターの兄でもある[1]。
略歴
[編集]グラスゴー近くのイースト・キルブライドで生まれた。グラスゴー大学で神学を学んだ後、1737年に薬学に転じ、化学者、医学者のウィリアム・カレンの影響を受けた。(1750年にグラスゴー大学で学位(M.D.)をうける)、その後、エディンバラ医学校の創立者で解剖学者のアレキサンダー・モンロー(Alexander Monro I. :1697-1767)の解剖学の講義を受けた後、ロンドンへ移り、有名な産科医、ウイリアム・スメリーの弟子となり、セント・ジョージ病院で解剖学の訓練を受けた。
1746年からスメルのように解剖学の個人的な教育を行うようになり、ウインドミル・ストリートに施設を作った。1764年に国王ジョージ3世の王妃、シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツの侍医に任じられた。1767年には王立協会の会員に選ばれ、1768年からロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの解剖学の教授を務めた。
血管に防腐剤を注入する方法や、断面や表面の防腐法を用いて解剖のための死体保存の方法を、ウィリアム・ハンターは発表し、1775年にジョン・ハンターが始めてこの方法を用いた[2] 。
熱心な古代のコインや古書の収集家であり、これらを含めて資料はグラスゴー大学に寄付され、グラスゴー大学のハンテリアン博物館・芸術ギャラリー(Hunterian Museum and Art Gallery)に保存されている。
著作
[編集]- Medical commentaries. 2 Bände. London 1762.
- Anatomy of the human gravid uterus. London 1775.
参考文献
[編集]- Hunter, William (1718-1783). In: Sidney Lee (Hrsg.): Dictionary of National Biography (DNB), Band 28 (Howard – Inglethorpe), MacMillan & Co, Smith, Elder & Co., New York City / London 1891, S. 302–305 By George Thomas Bettany:
脚注
[編集]- ^ Biografie William Hunter (englisch)
- ^ Tom Hickman, Death - A User's Guide, London 2002, S. 100-101.