コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ウィリアム・ハミルトン (好古家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウィリアム・ハミルトン英語: William Hamilton、1630年代 – 1724年)は、スコットランド出身の好古家。著作に『Account of the Shyres of Renfrew and Lanark』(レンフルーラナーク2州の記述)がある[1]

生涯

[編集]

ウィリアム・ハミルトン(William Hamilton、1636年没、ジョン・ハミルトンの息子)とビアトリクス(Beatrix、旧姓ダグラス(Douglas、ジェームズ・ダグラスの娘)の三男として、1630年代に生まれた[2]。兄ジェームズ(1654年までに没)とジョン(1666年没)が息子のないまま死去したため[3]、ウィリアムは1666年にラナークシャーにおけるウィショー英語版の地所を継承した[1]

弁護士業に向けた教育を受け、1662年よりエディンバラで法廷外弁護士(Writer to The Signet)として開業した[2]好古家系譜学者としての名声があり、同時代の歴史学者・系譜学者ジョージ・クロフォードはハミルトンを「名高い好古家」(that fam'd antiquary)と呼称したほか[1][3]、好古家アレクサンダー・ニスベット英語版は著作『紋章学の制度』(System of Heraldry、1722年)でハミルトンに恩義を感じると記述している[2][3]

現存する著作は『Account of the Shyres of Renfrew and Lanark』(レンフルーラナーク2州の記述)という手稿(スコットランド国立図書館英語版所蔵[2])1件のみであり、その成立時期は1696年から1710年までとされる[1]。クロフォードとニスベットにとってこの著作は参考になったが、著作自体は長らく手稿のまま出版されず、1831年にウィリアム・マザーウェル英語版の編集を経てメイトランド・クラブ英語版から出版された[1][4]

1724年に死去、1人目の妻との間の息子ロバートの息子ウィリアムが領地を継承した[2]

著作

[編集]
  • Hamilton, William (1831). Descriptions of the Sheriffdoms of Lanark and Renfrew (英語). Glasgow: Hutchison and Brookman.

家族

[編集]

1660年にいとこにあたるアン・ハミルトン(Anne Hamilton、1671年没、ジョン・ハミルトンの娘[2])と結婚、6男1女をもうけた[1]

  • ウィリアム(1661年5月4日 – 1724年以前) - 生涯未婚[3]
  • ロバート(1664年7月6日 ウィショー – 1724年までに没) - 1686年にジーン・ハミルトン(Jean Hamilton、ロバート・ハミルトンの長女)と結婚、5男をもうけた[3]
    • ウィリアム - 早世[3]
    • ウィリアム(1690年2月2日 – 1756年4月16日) - 1724年に祖父からウィショーの地所を継承した[1]。ウィリアムの息子ロバート(1731年5月3日 – 1784年3月27日)はベルヘイヴン=ステントン卿位の継承規定に基づき1777年に爵位を継承したが、爵位の称号を使用したことはなく、その息子ウィリアム(1765年1月13日 – 1814年10月29日)がはじめて爵位の称号を使用した[3]
    • ロバート(1691年3月3日 – 1765年7月13日) - 1721年3月9日、セシル・ボーランド(Cecil Borland、1765年までに没、フランシス・ボーランドの娘)と結婚、3男2女をもうけた[3]
    • ジョン(1692年9月27日[3] – ?)
    • ジェームズ(1700年9月25日 – 1769年11月28日埋葬) - 1736年11月10日にアンドルー・ベイリー(Andrew Baillie)の娘(1758年4月22日埋葬。名はヘレン(Helen)かネリー(Nellie)とされる)と結婚、5男をもうけた。その後、エリザベス・カニンガム(Elizabeth Cunningham、ウィリアム・カニンガムの娘)と再婚[3]
  • ジェームズ(1666年1月10日 エディンバラ – ?) - 子供なし[3]
  • アーチボルド(1667年1月22日 エディンバラ – ?) - ハミルトン氏(Miss Hamilton)と結婚、子供あり[3]
  • ジョン(1667年11月30日 エディンバラ – ?) - 子供なし[3]
  • トマス(1669年10月9日 ウィショー – ?) - 早世[3]
  • マーガレット - クリーランド氏(Cleland)と結婚[3]

1676年8月31日、メアリー・アースキン(Mary Erskine、1694年没、第19代マー伯爵ジョン・アースキン英語版の息子サー・チャールズ・アースキンの娘)と再婚、5男6女をもうけた[2][1]

  • ヘレン - 1694年3月31日、アンドルー・ベイリー(Andrew Baillie)と結婚、1男1女をもうけた[3]
  • チャールズ(1678年12月17日 – ?) - 1699年、ユーフェミア・ハミルトン(Euphemia Hamilton初代準男爵サー・アーチボルド・ハミルトンの娘)と結婚、2男2女をもうけたが、息子ウィリアム(1700年12月28日 – ?)とアーチボルド(1703年1月7日 – ?)は早世した[3]
  • ジョン(1680年11月30日 – 1757年1月25日 エディンバラ) - ジャコバイト[3]。ジーン・ガースショア(Jean Garthshore)と結婚、2女をもうけた[3]
  • キャサリン(1682年5月13日 – 1758年3月3日) - デイヴィッド・ピトケアン(David Pitcairn、1674年ごろ – 1757年4月18日)と結婚、子供あり[3]
  • ウィリアム(1685年8月5日 – 1754年1月15日) - 弁護士。ヘレン・ヘイ(Helen Hay、デイヴィッド・ヘイの娘)と結婚、2男をもうけたが、長男ロバート(1724年 – 1737年)は早世した[3]ウィリアム・ジェラード・ハミルトン英語版の父[3]
  • トマス(1687年8月13日 – 1758年以前) - 陸軍士官、生涯未婚[3]
  • メアリー - デイヴィッド・バルフォア(David Balfourサー・マイケル・バルフォアの息子)と結婚、子供なし[3]
  • クリスチャン - 早世[3]
  • アン(1692年2月11日 – ?) - ジェームズ・ボグル(James Bogle)と結婚、子供あり[3]
  • アレクサンダー(1693年5月21日 – 1781年) - 1人目の妻フランシス・ダルゼル(Frances Dalzell)との間に子供はいなかった[3]。2人目の妻バーバラ・リリー(Barbara Lilley)との間で5男をもうけ、うち四男アレクサンダーは夭折、次男ジョン・ロバートと五男アレクサンダー・リリーは早世した[3]。三男はコルチェスター大執事英語版アンソニー・ハミルトン英語版(1739年 – 1812年[3]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h Millar, Alexander Hastie (1890). "Hamilton, William (d.1724)" . In Stephen, Leslie; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 24. London: Smith, Elder & Co. pp. 220–221.
  2. ^ a b c d e f g Millar, Alexander Hastie; Du Toit, Alexander (23 September 2004). "Hamilton, William". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/12135 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac Paul, James Balfour, Sir, ed. (1905). The Scots Peerage (英語). Vol. II. Edinburgh: David Douglas. pp. 48–55.
  4. ^ Hamilton, William (1831). Descriptions of the Sheriffdoms of Lanark and Renfrew (英語). Glasgow: Hutchison and Brookman.