ウィリアム・スロックモートン・ブロムリー
ウィリアム・スロックモートン・ブロムリー(英語: William Throckmorton Bromley、1726年? – 1769年3月3日)は、グレートブリテン王国の政治家。1765年から1769年まで庶民院議員を務めた。
生涯
[編集]庶民院議員ウィリアム・ブロムリーとルーシー・スロックモートン(Lucy Throckmorton、1773年没[1]、クレメント・スロックモートンの娘)の息子として、おそらく1726年に生まれた[2]。1737年3月12日に父が死去すると[3]、その遺産を継承した[2]。同年4月よりウェストミンスター・スクールで教育を受けた後[2]、1744年6月26日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[4]。
1765年2月、第5代クレイヴェン男爵ウィリアム・クレイヴェンの支持を受けてウォリックシャー選挙区の補欠選挙で出馬、無投票で当選した[5]。議会ではホイッグ党の首相第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワースにより野党派として分類され、印紙法廃止法案にも反対票を投じた[2]。演説した記録はなかったという[2]。
議員在任中の1769年3月3日に死去した[2]。遺産は息子ウィリアム・デイヴェンポートが継承、ウィリアム・デイヴェンポートが1810年に生涯未婚のまま死去するとその姉妹ルーシーが継承した[1]。1822年にルーシーが子供のないまま死去すると、ルーシーはバギントンの領地を従兄弟にあたるウォルター・デイヴェンポート(Walter Davenport、ウィリアム・ブロムリー=デイヴェンポートの父)に与えた[1]。
家族
[編集]1756年5月ブリジット・デイヴェンポート(Bridget Davenport、リチャード・デイヴェンポートの娘)と結婚[2]、1男1女をもうけた。
- ウィリアム・デイヴェンポート(William Davenport、1763年頃 – 1810年) - 1780年11月21日、オックスフォード大学クライスト・チャーチに入学[4]。生涯未婚[1]
- ルーシー(Lucy、1822年没) - クロムウェル・プリース(Cromwell Price)と結婚、子供なし[1]
出典
[編集]- ^ a b c d e "Memorials of the Family of Bromley". The Gentleman's Magazine (英語). Vol. XXXI. January 1849. p. 28.
- ^ a b c d e f g Brooke, John (1964). "BROMLEY, William Throckmorton (?1726-69), of Baginton, nr. Coventry, Warws.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年11月25日閲覧。
- ^ Matthews, Shirley (1970). "BROMLEY, William, jun. (?1701-37), of Baginton, Warws.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年11月25日閲覧。
- ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (A to D) (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 166.
- ^ Cannon, J. A. (1964). "Warwickshire". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年11月25日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 サー・チャールズ・モードント準男爵 ウィリアム・クレイヴェン |
庶民院議員(ウォリックシャー選挙区選出) 1765年 – 1769年 同職:サー・チャールズ・モードント準男爵 |
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