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ウィリアム・コートネイ (第9代デヴォン伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リチャード・コズウェイによる細密肖像画英語版、1793年。

第9代デヴォン伯爵ウィリアム・コートネイWilliam Courtenay, 9th Earl of Devon1768年7月30日1835年5月26日)は、イギリスの貴族。ウィリアム・トマス・ベックフォードとの同性愛関係によりイギリス国外に住むことを余儀なくされた[1]

生涯

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第2代コートネイ子爵ウィリアム・コートネイと妻フランシス(1782年3月25日没、トマス・クラックの娘)の息子として、1768年7月30日に生まれ、8月30日にパウダーハム英語版で洗礼を受けた[2]

ウィリアム・トマス・ベックフォードの肖像画。ジョシュア・レノルズ画、1782年。

11歳のときに作家ウィリアム・トマス・ベックフォードに出会った[3]。ベックフォードはこのとき19歳であり、母の手配で政界の重鎮に顔を覚えさせるべく各地のカントリーハウスを回り、政界進出に備えており、デヴォンではコートネイ子爵家の所有するパウダーハム城英語版を訪れた[3]。ベックフォードは同性愛者だったが、このときの2人の関係は共通した将来の夢をもっていたことに基づいていた[3]。1780年、ベックフォードはグランドツアーを続けるべく大陸ヨーロッパに戻り、コートネイをパウダーハムに残したが、2人の文通からベックフォードがヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『若きウェルテルの悩み』(1774年刊行)の影響を受けたことが見てとれる[3]。ベックフォードは1783年に結婚したが、その結婚相手マーガレット・ゴードンは2人の関係に気づいたとされる[3]

ベックフォードは1784年に庶民院議員に当選したが、当選から数か月のうちにベックフォードとコートネイの関係が噂された[3]。噂話では名指しされなかったが、ベックフォードとコートネイの名声が大きく損なわれ、ベックフォードと妻は一時スイス]に向かうこととなった[3]。コートネイも海外に住むようになり、1807年にはニューヨーク市ハーレムのクラーモント・イン(Claremont Inn)に住むようになったが、米英戦争の混乱により引っ越した[1]

1788年10月14日に父が死去すると、コートネイ子爵位を継承した[2]

1831年5月14日、貴族院は長らく名乗る者のいなかったデヴォン伯爵位について、8世代前の先祖であるサー・ウィリアム・コートネイ英語版(1557年没)が相続人であるとの判断を下し、その末裔である第3代コートネイ子爵をデヴォン伯爵であると認定した[2]。『完全貴族要覧』によれば、初代ブルーム=ヴォークス男爵ヘンリー・ブルームがこの判断を得るために活動したが、実際にデヴォン伯爵の復活を推進したのは1835年にデヴォン伯爵位を継承することとなるウィリアム・コートネイだった[2]

1835年5月26日に生涯未婚のままパリヴァンドーム広場で死去、6月12日にパウダーハムで埋葬された[2]。コートネイ子爵位は廃絶、デヴォン伯爵位は祖父の弟の孫にあたるウィリアム・コートネイが継承した[2]

出典

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  1. ^ a b "The Claremont Inn, West Harlem, 1804". Harlem World (英語). 10 September 2020. 2024年8月3日閲覧
  2. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 336.
  3. ^ a b c d e f g Beattie, Sarah (30 October 2020). "William Beckford (1760–1844): part one". National Trust for Scotland (英語). 2024年8月3日閲覧

外部リンク

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イングランドの爵位
先代
ウィリアム・コートネイ
デヴォン伯爵
(1831年までは法律上

1788年 – 1835年
次代
ウィリアム・コートネイ
グレートブリテンの爵位
先代
ウィリアム・コートネイ
コートネイ子爵
1788年 – 1835年
廃絶