ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第3代デヴォンシャー公爵)
第3代デヴォンシャー公爵 | |
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第3代デヴォンシャー公爵 | |
生誕 | 1698年9月26日 |
死没 | 1755年12月5日 |
国籍 | イギリス |
配偶者 | キャサリン・ホスキンス |
子供 |
キャロライン ウィリアム ジョージ エリザベス レイチェル フレデリック ジョン |
親 |
第2代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ レイチェル・ラッセル |
第3代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(英語: William Cavendish, 3rd Duke of Devonshire KG PC FRS、1698年9月26日 - 1755年12月5日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。1721年から1729年まで庶民院議員を務めた後、デヴォンシャー公爵の爵位を継承した。以降王璽尚書、王室家政長官、アイルランド総督などの官職を歴任した。
生涯
[編集]第2代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュとレイチェル・ラッセルの長男として、1698年に生まれた[1]。1715年5月30日にオックスフォード大学ニュー・カレッジに入学、1717年7月6日にマスターオブアーツの学位を取得した[2]。
父と同じく政治家になり、1721年の補欠選挙でロストウィシアル選挙区で当選して庶民院議員になる。1722年イギリス総選挙でグラムパウンド選挙区に鞍替えして無投票で当選、1727年イギリス総選挙でハンティンドンシャー選挙区に鞍替えして当選した[3]。1729年に父が死去するとデヴォンシャー公爵の爵位を継承、貴族院に移籍した[3]。1731年6月12日に枢密顧問官に任命され、1733年6月12日にガーター勲章を授与されたほか、1731年から1733年まで王璽尚書を、1737年から1744年までアイルランド総督を務めた[3][4]。1733年から1737年と1745年から1749年まで王室家政長官を務めた後、1749年に引退した[3]。1739年に捨子養育院の初代総裁の1人になったほか[5]、1748年1月21日に王立協会フェローに選出された[6]。
デヴォンシャー公爵はブルームスベリーの旧デヴォンシャー・ハウスを売却して、ピカデリーのデヴォンシャー・ハウスを改修しようとした。しかし、デヴォンシャー・ハウスは改修中の1733年10月16日に火事に遭い、デヴォンシャー公爵はウィリアム・ケントに依頼してパッラーディオ様式で再建した[4]。
1745年ジャコバイト蜂起では1745年12月3日にダービーシャー・ブルースという民兵部隊を編成して国王ジョージ2世を支持した。
1755年12月5日に死去、長男ウィリアムが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1718年3月27日、ジョン・ホスキンス(1640年 – 1717年5月16日)の娘キャサリン(1777年5月8日没[1])と結婚、4男3女をもうけた。
- キャロライン(1719年5月22日 – 1760年1月20日) - 第2代ベスバラ伯爵ウィリアム・ポンソンビーと結婚、子供あり
- ウィリアム(1720年 – 1764年) - 第4代デヴォンシャー公爵
- ジョージ(1727年頃 – 1794年) - 生涯未婚
- エリザベス(1727年以前 – 1796年) - ジョン・ポンソンビーと結婚、子供あり
- レイチェル(1727年6月7日 – 1805年5月8日) - 初代オーフォード伯爵ホレイショ・ウォルポールと結婚、子供あり
- フレデリック(1729年頃 – 1803年) - 軍人、生涯未婚
- ジョン(1734年頃 – 1796年) - 政治家、財務大臣
第3代デヴォンシャー公爵夫婦はチャールズ3世と1人目の妃ダイアナの最も近い共通祖先として知られる。チャールズは第3代デヴォンシャー公爵の息子ウィリアム(第4代デヴォンシャー公爵)の子孫で、ダイアナは第3代デヴォンシャー公爵娘エリザベスの子孫である[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c (英語) Burke's Peerage (99th edition ed.). (1949). p. 595
- ^ Foster, Joseph. “Alumni oxonienses: the members of the University of Oxford, 1715-1886” (英語). University of Oxford. p. 231. 2019年4月22日閲覧。
- ^ a b c d “CAVENDISH, William, Mq. of Hartington (?1698-1755), of Chatsworth, Derbys.” (英語). History of Parliament Online. 17 August 2018閲覧。
- ^ a b “History of Chatsworth / 18th century” (英語). Chatsworth House. 2019年4月22日閲覧。
- ^ (英語) A Copy of the Royal Charter Establishing an Hospital for the Maintenance and Education of Exposed and Deserted Young Children. p. 3
- ^ "Cavendish; William (1698 - 1755); 3rd Duke of Devonshire". Record (英語). The Royal Society. 2019年4月22日閲覧。
- ^ “Diana, Princess of Wales: Frequently Asked Questions” (英語). www.dianapow.com. 2016年8月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- William Cavendish, 3rd Duke of Devonshireに関連する著作物 - インターネットアーカイブ
- ウィリアム・キャヴェンディッシュ - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ウィリアム・キャヴェンディッシュの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ガルフリダス・ウォルポール ジョン・ニューシャム |
庶民院議員(ロストウィシアル選挙区選出) 1721年 – 1724年 同職:ジョン・ニューシャム 1721年 – 1722年 スタンホープ卿 1722年 – 1724年 |
次代 サー・オーランド・ブリッジマン ヘンリー・パーソンズ |
先代 ジョン・ウェスト閣下 リチャード・ウェスト |
庶民院議員(グラムパウンド選挙区選出) 1722年 – 1727年 同職:ハンフリー・モーリス |
次代 ハンフリー・モーリス フィリップ・ホーキンス |
先代 ジョン・ビッグ ジョン・プロビー |
庶民院議員(ハンティンドンシャー選挙区選出) 1727年 – 1729年 同職:ジョン・ビッグ |
次代 ジョン・ビッグ ロバート・ピゴット |
名誉職 | ||
先代 セント・オールバンズ公爵 |
恩給紳士隊隊長 1726年 – 1731年 |
次代 バーリントン伯爵 |
先代 第2代デヴォンシャー公爵 |
ダービーシャー統監 1729年 – 1755年 |
次代 第4代デヴォンシャー公爵 |
公職 | ||
委員会制 最後の在位者 ウィルミントン伯爵
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王璽尚書 1731年 – 1733年 |
次代 ロンズデール子爵 |
先代 チェスターフィールド伯爵 |
王室家政長官 1733年 – 1737年 |
次代 ドーセット公爵 |
先代 ドーセット公爵 |
アイルランド総督 1737年 – 1744年 |
次代 チェスターフィールド伯爵 |
先代 ドーセット公爵 |
王室家政長官 1745年 – 1749年 |
次代 マールバラ公爵 |
イングランドの爵位 | ||
先代 ウィリアム・キャヴェンディッシュ |
デヴォンシャー公爵 1729年 – 1755年 |
次代 ウィリアム・キャヴェンディッシュ |
ハードウィックのキャヴェンディッシュ男爵 (繰上勅書により) 1729年 – 1751年 |