コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト2世 (William Kissam Vanderbilt II、1878年3月2日 - 1944年1月8日) はアメリカ合衆国自動車競技およびヨット愛好家、高名なヴァンダービルト家の一族。

経歴

[編集]

1878年3月2日、ニューヨーク市ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルトアルヴァ・アースキン・スミス第2子長男として生まれた。きょうだいには姉コンスエロ・ヴァンダービルト、弟ハロルド・スターリング・ヴァンダービルトがいる。裕福な家庭に生まれ、ヴァンダービルト家の邸宅で育ち、ヨーロッパに度々旅行し、父所有のヨットで世界中を航行した。

彼は家庭教師および私立学校で学び、ハーバード大学に進学したが、1年で中退した。競馬とヨットへの興味が増したが、自動車に特に魅了された。フランス南部滞在中の10歳の頃、蒸気機関三輪車ボーリュー=シュル=メールからモンテカルロまで7km走行し、1898年、12歳の頃フランスのDe Dion-Bouton に自動三輪車を注文し、ニューヨーク州に送らせた。すぐに彼は他の自動車を要求し、間もなくオークデイルにある両親の夏季用別荘アイドル・アワーへの途上のロングアイランドの町や村で猛スピードで走行したため市民や警察の反感を得た。

1899年、コムストック・ロードの鉱業で財を成したジェイムス・グラハム・フェアの娘で相続人のヴァージニア・グラハム・フェア(1875年 – 1935年)と結婚。新婚旅行としてアイドル・アワーで過ごしたが、火事により全焼。

ヨットの操縦に長け、ヨットのレースに出場し、1900年、妻の名に因み「ヴァージニア号」と名付けた70-フート (21 m)の新しいヨットでSir Thomas Lipton Cup で優勝した。1902年、ロングアイランドのレイク・サクセスに「ディープデイル」という名の邸宅の建設を開始。ヨットは速い車に次ぐ2番目の趣味であった。1904年、フロリダ州オーモンド・ビーチデイトナ・ビーチ・ロード・コースメルセデスを運転し、新記録92.30 mph (148.54 km/h)を打ち出した。同年、アメリカの自動車競技初の主要杯であったヴァンダービルト杯を創設。国際イベントとして、全米の自動車関連事業を競技に引き込み、ヨーロッパのゴードン・ベネット・カップに出場した車両が大西洋を越え参加し、優勝者には高額な賞金が与えられた。ロングアイランドナッソー郡に設置されたコースには、アメリカ車がヨーロッパの強豪車を打ち負かす様子を見に来た観客でごった返した。しかしフランスのパナール車が優勝し、このレースでアメリカ車が優勝したのは1908年、ニューヨーク州ガーデン・シティの23歳のジョージ・ロバートソンであった。

彼の人生の大半を旅行など余暇活動で占めていたが、彼の父は彼をマンハッタングランド・セントラル駅にある家業であるニューヨーク・セントラル鉄道の事務所の職に就かせた。1905年、ヴァンダービルト家の他の者達同様、5番街のタウンハウスに住むようになった。ヴァンダービルト杯では度々群衆整理上の問題を引き起こし、1906年には1人の観客が亡くなった。集客同様安全面の対策のためロング・アイランド・モーター・パークウェイを建設するための会社を創立。この通りはレースのみに限らず、交通の便が良く経済的発展にも繋がる全米で最初の近代的な舗装を施した公園道路の1つである。1907年、クイーンズ区Kissena Corridor からいくつもの河川橋や陸橋を越えレイク・ロンコンコマに向かう48マイル (77 km)の、総額数百万ドルの通行料金を見込むこの道路の建設が始まった。しかしこの道路は利益をあげることができず、1938年、8万ドルで連邦政府に譲渡された。

高速でマンハッタンを出ることができる電車の補完としての新しい高速道路を建設。際よの郊外居住車通勤者となるべく、1910年、センターポートに精巧で高価な邸宅イーグルズ・ネストの建設に取り掛かった。人類学博物学、海洋標本の熱心な収集家で、世界中のあらゆる地域に陸路で行ったり、ヨットに乗り広範囲を旅してまわった。旅行や第一次世界大戦アメリカ海軍に従事した際の軌跡を示す工芸品などの数々の収集品を列挙した書籍『A Trip Through Sicily, Tunisia, Algeria, and Southern France 』を出版。数年後アメリカ自然史博物館ガラパゴス諸島への科学的航海の学芸員として参加。

戦後、1921年5月17日、海軍予備役少佐に昇格[1]。1941年1月1日に身体的障害のため名誉退役軍人リストに入るまでこの称号は続いた[2]

信託基金やニューヨーク・セントラル鉄道の社長職によりすでに富を拡大していたが、1920年に父が亡くなり数百万ドルの遺産を引き継いだ。1925年、豪華なヨットのイーグル号の所有権と、冬季の別荘として使用するためのフロリダ州フィッシャー・アイランドの土地を交換[3]。ヨット用桟橋、水上飛行機置き場、テニス・コート、水泳プール、11ホールのゴルフ・コースを備えた邸宅を完成。Maurice Fatio により設計されたこの邸宅はアルヴァ・ベースと名付けられた[4]。彼はこことロング・アイランドの地所の他、テネシー州の農場とカナダニューブランズウィック州Restigouche River にあるスタンフォード・ホワイト設計で父のために建てられた狩猟小屋のKedgwick Lodge を所有していた。

彼と妻のヴァージニアには息子ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト3世と娘ミュリエル・ヴァンダービルト、叔母に因み名付けたコンスエロ・ヴァンダービルト・アールがいる。結婚後10年で別居したが、1927年に彼が再婚したくなるまで正式に離婚しなかった。離婚の進展はニューヨークの弁護士にかかっており、彼と、デパートメント・ストアで財を成したジョン・ワナメイカーの元妻で相続人のロザマンド・ランカスター・ウォーバートンはマスコミを避けるためフランスのPassy 郊外の家で離婚成立を待っていた。離婚が成立すると2人はパリHotel de Ville (市役所)で結婚。これにより彼はBarclay Harding Warburton III の継父となった。

1933年、26歳の息子ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト3世が父であるウィリアム・キッサム2世のフロリダの邸宅からニューヨーク市の自宅まで運転中、サウスカロライナ州で交通事故で死亡。ウィリアム・キッサム3世は父譲りで高速自動車、海外旅行を愛した。ウィリアム・キッサム2世はロング・アイランドの邸宅イーグルズ・ネストに新たに記念品、トロフィー、息子がアフリカのサファリで得た土産品などを所蔵するための翼室を増築した。彼はこの部屋を週に何日か一般に公開し、200万ドルの価値のあるイーグルズ・ネストの地所を博物館として利用できるようサフォーク郡に寄付する意向で遺産管理団体を組織し、現在イーグルズ・ネストはヴァンダービルト博物館として公開されている。

1931年、ドイツKeil に彼の264-フート (80 m)の蒸気ヨットであるアルヴァ号のためのクルップ造船所を建設。1941年11月4日、アルヴァ号は彼からアメリカ海軍に寄贈された。1941年12月29日、アルヴァ号は小型砲艦に作り変えられ、USS Plymouth (PG-57) として就役された。この船は当初東海岸カリブ海で船団護衛艦として使用され、1943年8月4日、ドイツの潜水艦Uボートからの魚雷により沈められた。

1944年1月8日、心臓病により亡くなり、ニューヨーク州スタテンアイランドモラヴィア兄弟団墓地のヴァンダービルト家の霊廟に埋葬された[5][6]

家系図

[編集]
ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト2世の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. コーネリアス・ヴァンダービルト
 
 
 
 
 
 
 
8. コーネリアス・ヴァンダービルト
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. フェブ・ハンド
 
 
 
 
 
 
 
4. ウィリアム・ヘンリー・ヴァンダービルト
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. ナザニエル・ジョンソン
 
 
 
 
 
 
 
9. ソフィア・ジョンソン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. エリザベス・ハンド
 
 
 
 
 
 
 
2. ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20. ピーター・ラトガー・キッサム
 
 
 
 
 
 
 
10. リヴレンド・サミュエル・キッサム
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
21. デボラ・タウンセンド
 
 
 
 
 
 
 
5. マリア・ルイザ・キッサム
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
22. アーチボルド・ハミルトン・アダムス
 
 
 
 
 
 
 
11. マーガレット・ハミルトン・アダムス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
23. マリア・マッキニー
 
 
 
 
 
 
 
1. ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト2世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
12. ジョージ・スミス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6. ミュレイ・フォーブス・スミス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. デイヴィッド・フォーブス
 
 
 
 
 
 
 
13. デリア・スターリング・フォーブス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
27. マーガレット・スターリング
 
 
 
 
 
 
 
3. アルヴァ・アースキン・スミス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. ロバート・ディシャ
 
 
 
 
 
 
 
14. ロバート・ディシャ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
29. エレノア・ホィーラー
 
 
 
 
 
 
 
7. フォーブ・アン・ディシャ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30. デイヴィッド・シェルビー
 
 
 
 
 
 
 
15. エリノア・シェルビー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
31. サラ・ブレッソー
 
 
 
 
 
 

脚注

[編集]
  1. ^ Register of Commissioned Officers of the U.S. Naval Reserve. July 1, 1939. pg. 3.
  2. ^ Register of Commissioned Officers of the U.S. Naval Reserve. July 1, 1941. pg. 488.
  3. ^ Fisher, Lionel L. Fisher Island. Fisher Island, FL: Island Developers, 1994. p. 18.
  4. ^ Mockler, Kim. Maurice Fatio: Palm Beach Architect. New York: Acanthus Press, 2010. ISBN 0-926494-09-0. p. 196.
  5. ^ “William Kissam Vanderbilt”. Associated Press. (January 8, 1944). http://pqasb.pqarchiver.com/csmonitor_historic/access/174800962.html?dids=174800962:174800962&FMT=ABS&FMTS=ABS:AI&date=Jan+08%2C+1944&author=&pub=Christian+Science+Monitor&desc=William+K.+Vanderbilt&pqatl=google 2011年5月23日閲覧. "William Kissam Vanderbilt, who passed on here today, was a former President of the New York Central Railroad and one of the nation's foremost yachtsmen ..." 
  6. ^ “W. K. Vanderbilt Dies In N. Y. Of Heart Disease”. Chicago Tribune. (January 8, 1944). http://pqasb.pqarchiver.com/chicagotribune/access/462101962.html?dids=462101962:462101962&FMT=ABS&FMTS=ABS:AI&type=historic&date=Jan+08%2C+1944&author=&pub=Chicago+Tribune&desc=W.+K.+VANDERBILT+DIES+IN+N.+Y.+OF+HEART+DISEASE&pqatl=google 2011年5月27日閲覧. "William Kissam Vanderbilt, 65 years old, greatgrandson of Commodore Cornelius Vanderbilt, who founded the family fortune, died of a heart ailment ..." 

外部リンク

[編集]