コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ウィリアム・カー (第3代ロジアン侯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第3代ロジアン侯爵ウィリアム・カー英語: William Kerr, 3rd Marquess of Lothian KT1690年頃 – 1767年7月28日)は、スコットランドの貴族。1692年から1703年までMaster of Jedburgh儀礼称号を、1703年から1722年までジェドバラ卿の儀礼称号を使用した。

生涯

[編集]

第2代ロジアン侯爵ウィリアム・カーとジーン・キャンベル(Jean Campbell、1712年7月31日没、第9代アーガイル伯爵アーチボルド・キャンベルの娘)の息子として、1690年頃に生まれた[1]。青年期にはジェドバラ卿の儀礼称号を使用したが、1712年にスコットランド貴族代表議員選挙で投票したことから、儀礼称号だけでなく実際に称号を保有したともされる[1]

1722年2月28日に父が死去すると、ロジアン侯爵の爵位を継承した[1]。その後、1731年から1761年までスコットランド貴族代表議員を、1732年から1738年までスコットランド教会総会への勅使英語版を、1739年から1756年まで選挙名簿管理長官英語版を務め、1734年にはシッスル勲章を授与された[1]

1767年7月28日にエディンバラのロジアン・ハウスで死去、長男ウィリアム・ヘンリー英語版が爵位を継承した[1]

家族

[編集]

1710年頃、マーガレット・ニコルソン(Margaret Nicolson、1759年9月30日没、初代準男爵サー・トマス・ニコルソンの娘)と結婚[1]、下記の子女を儲けた。

1760年10月1日、ジーン・ジャネット・カー(Jean Janet Kerr、1711年頃 – 1787年12月26日、叔父チャールズの娘)と再婚したが[1]、2人の間に子供はいなかった。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 148.
  2. ^ The Letters of Horace Walpole, Earl of Orford, Vol. II 1744-1753 (1840 pub. Richard Bentley), page 136 & footnote, Letter to Sir Horace Mann, 1st August 1746: ..the Marquis of Lothian in weepers for his son who fell at Culloden... Footnote: William Ker, third Marquis of Lothian. Lord Robert Ker, who was killed at Culloden, was his second son. - D.
公職
先代
ラウドン伯爵
スコットランド教会総会への勅使英語版
1732年 – 1738年
次代
ハインドフォード伯爵
先代
セルカーク伯爵
選挙名簿管理長官英語版
1739年 – 1756年
次代
アレクサンダー・ヒューム=キャンベル英語版
スコットランドの爵位
先代
ウィリアム・カー
ロジアン侯爵
1722年 – 1767年
次代
ウィリアム・ヘンリー・カー英語版