ウィリアム・オブライエン (第2代トモンド侯爵)
第2代トモンド侯爵ウィリアム・オブライエン(英語: William O'Brien, 2nd Marquess of Thomond KP PC (Ire)、1765年頃 – 1846年8月21日)は、イギリスの貴族。トーリー党所属[1]。
生涯
[編集]エドマンド・ドミニク・オブライエン(1801年3月没、ジェームズ・オブライエンの息子)とメアリー・キャリック(Mary Carrick)の息子として、1765年頃に生まれた[2]。
青年期より従軍して第12歩兵連隊に所属、フランス革命戦争のグアドループ侵攻(1794年)とセントルシア侵攻(1794年)に参戦した[2]。その後は東インドに移り、第14竜騎兵連隊に移籍したのち1800年に軍務から引退した[2]。
1808年2月10日、父方の伯父にあたる初代トモンド侯爵マロー・オブライエンが死去すると、トモンド侯爵位を継承した[2]。その後、1809年にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命され[1]、1816年から1846年までアイルランド貴族代表議員を務めた[2]。また、コーク県総督も務めた[2]。
1809年11月11日に聖パトリック勲章を授与され、1819年5月27日に正式に聖パトリック騎士団員に叙任された[2]。1826年7月3日、連合王国貴族であるヨークシャーにおけるタッドキャスターのタッドキャスター男爵に叙された[2]。
1846年8月21日に自宅で死去、トモンド侯爵位は弟ジェームズが継承したが、タッドキャスター男爵位は廃絶した[2]。
家族
[編集]1799年9月16日、エリザベス・トロッター(Elizabeth Trotter、1778年頃 – 1852年3月3日、トマス・トロッターの娘)と結婚、4女をもうけた[1]。
- スーザン・マリア(1857年3月25日没) - 1824年8月12日、ジョージ・フレデリック・ホサム閣下(Hon. George Frederick Hotham、1799年10月20日 – 1856年10月19日、第2代ホサム男爵ボーモント・ホサムの息子)と結婚、子供あり
- サラ(1859年2月9日没) - 1830年4月3日、ウィリアム・スタンホープ・テイラー(William Stanhope Taylor、トマス・テイラーの息子)と結婚
- メアリー(1853年7月19日没) - 1836年10月11日、リチャード・ホワイト(後の第2代バントリー伯爵)と結婚
- エリザベス(1870年5月9日没) - 1835年12月22日、ジョージ・スタックリーと結婚、子供あり
出典
[編集]- ^ a b c "Thomond, Marquess of (I, 1800 - 1855)". Cracroft's Peerage (英語). 2020年3月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 395.
アイルランドの爵位 | ||
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先代 マロー・オブライエン |
トモンド侯爵 1808年 – 1846年 |
次代 ジェームズ・オブライエン |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | タッドキャスター男爵 1826年 – 1846年 |
廃絶 |