ウィットワース男爵
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ウィットワース男爵(ウィットワースだんしゃく、英: Baron Whitworth)は、アイルランド貴族の男爵位。2度創設され、いずれも1代で廃絶した。
歴史
[編集]外交官チャールズ・ウィットワース(1675–1725)は神聖ローマ帝国、プロイセン王国、ポーランド・リトアニア共和国、ロシア帝国、ネーデルラント連邦共和国で大使を務めた経歴を持ち、1721年1月9日にアイルランド貴族であるゴールウェイ県ゴールウェイにおけるウィットワース男爵に叙された[1]。彼は1722年より庶民院議員も務めたが、男子をもうけず、爵位は1代で廃絶した[2]。
その弟の孫にあたるチャールズ・ウィットワース(1752–1825)ははじめ陸軍軍人を志し、アメリカ独立戦争に参戦したが、戦後に外交官に転身した[3]。彼は外交官としてロシア皇帝エカチェリーナ2世、パーヴェル1世、フランス統領ナポレオン・ボナパルトと交渉したことがあり、駐ロシア大使在任中の1800年4月4日にアイルランド貴族であるゴールウェイ県ニューポット・プラットのウィットワース男爵に叙された[4][5]。1813年6月にアイルランド総督に就任、その在任中の1813年6月14日に連合王国貴族であるスタッフォード州アドバストンのウィットワース子爵に、1815年11月25日に連合王国貴族であるスタッフォード州アドバストンのウィットワース男爵とウィットワース伯爵に叙された[6]。彼にも息子がおらず、爵位は1代で廃絶した[7]。
ウィットワース男爵(1721年)
[編集]- 初代ウィットワース男爵チャールズ・ウィットワース(1675年 – 1725年)
ウィットワース男爵(1800年)
[編集]- 初代ウィットワース男爵チャールズ・ウィットワース(1752年 – 1825年)
- 1813年、連合王国貴族のウィットワース子爵に叙爵。1815年、ウィットワース伯爵に叙爵
出典
[編集]- ^ Cokayne & White 1959, p. 617.
- ^ Cokayne & White 1959, pp. 617–618.
- ^ Cokayne & White 1959, pp. 618–619.
- ^ Cokayne & White 1959, p. 619.
- ^ Seccombe, Thomas (1900). . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 61. London: Smith, Elder & Co. pp. 163–166.
- ^ Cokayne & White 1959, pp. 619–620.
- ^ Cokayne & White 1959, p. 620.
参考文献
[編集]- Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1959). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Tracton to Zouche) (英語). Vol. 12.2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 616–620.