インスブルック市電61形電車
インスブルック市電61形電車 | |
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61(1977年撮影) | |
基本情報 | |
製造所 |
ローナー エリン、キーペ(電気機器) |
製造年 | 1960年 |
製造数 | 6両(61 - 66) |
運用開始 | 1960年 |
運用終了 | 1989年 |
廃車 | 1992年 |
投入先 | インスブルック市電 |
主要諸元 | |
編成 | ボギー車、片運転台 |
軸配置 | Bo'Bo' |
軌間 | 1,000 mm |
電気方式 |
直流600 V (架空電車線方式) (製造時) |
最高速度 | 60 km/h |
車両定員 | 76人(着席25人) |
車両重量 | 14.9 t |
全長 | 13,400 mm |
固定軸距 | 1,800 mm |
台車中心間距離 | 6,000 mm |
主電動機 | Elin BG 75 Dmff |
主電動機出力 | 100 kw |
出力 | 200 kw |
保安装置 | 発電ブレーキ、手ブレーキ、電磁吸着ブレーキ |
備考 | 主要数値は[1][2][3]に基づく。 |
61形は、かつてオーストリア・インスブルックの路面電車であるインスブルック市電で使用されていた車両。近代化を目的に導入され、1980年代まで営業運転に用いられた[1][2][3]。
概要
[編集]1950年代までインスブルック市電に在籍していた車両は、第二次世界大戦中に導入されたボギー車1両(60)を除いて戦前に製造された車両が占めており、老朽化が課題となっていた。そこで、これらの車両の置き換えを目的にローナーへ発注が実施されたのが6両のボギー車(61 - 66)である[1][2][3]。
当時ドイツのデュッセルドルフ車両製造(→デュワグ)が生産していた路面電車車両(デュワグカー)をライセンス生産した車両で、インスブルック市電で初となる右側通行に適した片運転台車両であった。付随車を連結する運用に備え、車体前後には連結器が設置されていた。電気機器はエリン(ELIN)とキーペ(Kiepe)が生産したものが採用され、主電動機は各台車に1基づつ搭載されていた。抵抗値の進段はカムスイッチを用いて制御が行われる方式が用いられた他、屋根上に設置された抵抗器に加えてスイッチ操作でラジエーターを抵抗器として使用することも可能であった。制動装置は発電ブレーキ、手ブレーキ、電磁吸着ブレーキが用いられた[1][2][3]。
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後方(65)(1978年撮影)
1960年から営業運転を開始し、老朽化していた車両の一部が置き換えられた。また、これに合わせて折り返し用のループ線の整備が行われた。しかし、輸送力不足が指摘された事から以降の近代化は連接車(70形)によって行われる事となった。その後も61 - 66は主に1号線で使用されたが、他都市から譲渡された連接車が導入された事により1985年以降廃車が始まり、1989年までに営業運転から離脱した[1][2][3]。
その後、1992年までに4両が解体された一方、61は2000年以降動態保存運転が実施されており、2012年以降はインスブルック市電の旧型電車の保存を実施しているチロル博物館鉄道協会が所有している。また、64についてもクラーゲンフルトの保存団体による保存が行われている[1][2][3][4]。
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動態保存が行われている61(2007年撮影)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f Wolfgang Kaiser (2016-5-18). Straßenbahn in Österreich: Alle aktuellen und ehemaligen Betriebe Kindle Ausgabe. GeraMond Verlag. ISBN 978-3956130168 2023年5月8日閲覧。
- ^ a b c d e f Michael Sturm (2009年11月). “Die Geschichte der Innsbrucker DÜWAG - Wagen”. Railway Media Group. 2023年5月8日閲覧。
- ^ a b c d e f “Triebwagenserie 61 - 66 (I.V.B.)”. Tiroler Museums Bahnen. 2023年5月8日閲覧。
- ^ Danijel Jovanovic (2021年8月5日). “Straßenbahn-Nostalgie in Innsbruck”. INNSBRUCK.INFO. 2023年5月8日閲覧。