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インゲボリ・エリクスドッテル・アヴ・スヴェーリエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
インゲボリ・エリクスドッテル
Ingeborg Eriksdotter
インゲボリのシール

出生 1212年ごろ
死去 1254年6月17日
配偶者 ビルイェル・ヤール
子女 リキサ
ヴァルデマール1世
クリスティーナ
マグヌス3世
カタリーナ(推定)
エリク
インゲボリ(推定)
ベンクト
家名 エリク家
父親 スウェーデン王エリク10世
母親 リキサ・ア・ダンマーク
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インゲボリ・エリクスドッテル(Ingeborg Eriksdotter, 1212年ごろ - 1254年6月17日)は、スウェーデン王エリク10世の娘でエリク11世の姉。ビルイェル・ヤールと結婚し、スウェーデン王となるヴァルデマール1世マグヌス3世の母となった。

生涯

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インゲボリはスウェーデン王エリク10世リキサ・ア・ダンマークの間の長女である。弟エリク11世が後見人で摂政であったクヌート・ホルムイェルソン(その後スウェーデン王クヌート2世となる)により1229年に廃位された後、インゲボリは亡命先のデンマークで過ごした。

1234年、エリク11世は簒奪者クヌート2世の死後に復位し、インゲボリの結婚はこの頃に決められた。この結婚によりインゲボリとエリク11世は強大なビェルボ家と同盟関係を結ぶことができた。

インゲボリは夫ビルイェル・ヤールとの間に多くの子女をもうけた。1250年、弟エリク11世が嗣子なく死去し、インゲボリの長男ヴァルデマールがエリク11世の王位継承者として選ばれた。ヴァルデマールはエリク11世の姉インゲボリの息子であったため王として選ばれたのであり、ヴァルデマールが若年の間は夫ビルイェル・ヤールが摂政をつとめた。息子の即位によりインゲボリは王太后となった。

インゲボリは弟エリク11世の死後、唯一生存していた姉妹であったため、エリクの財産を相続したと記録されている。インゲボリは40代になっても子供を産み、その死因も恐らく双子の出産時の合併症であったとみられている。

子女

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以下は成人した子女である。

  • リキサ(1238年 - ?) - 1251年にノルウェー王太子ホーコン・ホーコンソン若公(ホーコン4世の子)と結婚、メクレンブルク=ヴェルレ領主ハインリヒ1世と結婚
  • ヴァルデマール1世(1239年 - 1302年) - スウェーデン王(1250年 - 1275年)
  • クリスティーナ - シッゲ・グットルムソンと結婚
  • マグヌス3世(1240年 - 1290年) - スウェーデン王(1275年 - 1290年)
  • カタリーナ(推定)(1245年 - 1289年) - アンハルト伯ジークフリート1世と結婚
  • エリク(1250年 - 1275年) - スモーランド公
  • インゲボリ(推定)(1254年 - 1302年6月30日) - 1270年にザクセン=ラウエンブルク公ヨハン1世と結婚
  • ベンクト(1254年 - 1291年) - リンシェーピング司教、フィンランド公

参考文献

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  • Cronica Principum Saxonie, MGH SS XXV, p. 476
  • Lars O. Lagerqvist (1982) (Swedish). "Sverige och dess regenter under 1.000 år",("Sweden and its regents during 1000 years").. Albert Bonniers Förlag AB. ISBN 91-0-075007-7