イワン・リュビチッチ
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イワン・リュビチッチ | ||||||||||
基本情報 | ||||||||||
国籍 | クロアチア | |||||||||
出身地 | ユーゴスラビア、バニャ・ルカ | |||||||||
生年月日 | 1979年3月19日(45歳) | |||||||||
身長 | 193cm | |||||||||
体重 | 86kg | |||||||||
利き手 | 右 | |||||||||
バックハンド | 片手打ち | |||||||||
ツアー経歴 | ||||||||||
デビュー年 | 1998年 | |||||||||
引退年 | 2012年 | |||||||||
ツアー通算 | 10勝 | |||||||||
シングルス | 10勝 | |||||||||
ダブルス | 0勝 | |||||||||
生涯通算成績 | 540勝424敗 | |||||||||
シングルス | 429勝296敗 | |||||||||
ダブルス | 111勝128敗 | |||||||||
生涯獲得賞金 | $10,169,964 | |||||||||
4大大会最高成績・シングルス | ||||||||||
全豪 | ベスト8(2006) | |||||||||
全仏 | ベスト4(2006) | |||||||||
全英 | 3回戦(2006・07・11) | |||||||||
全米 | 3回戦(2005・07) | |||||||||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||||||||
全豪 | ベスト8(2010) | |||||||||
全仏 | 3回戦(2004・06) | |||||||||
全英 | 1回戦(2005-07) | |||||||||
全米 | ベスト8(2003・09) | |||||||||
国別対抗戦最高成績 | ||||||||||
デビス杯 | 優勝(2005) | |||||||||
キャリア自己最高ランキング | ||||||||||
シングルス | 3位(2006年5月1日) | |||||||||
ダブルス | 70位(2005年5月16日) | |||||||||
獲得メダル | ||||||||||
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イワン・リュビチッチ(Ivan Ljubičić, 1979年3月19日 - )は、クロアチアの男子プロテニス選手。ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)領のバニャ・ルカ出身。シングルス自己最高ランキングは3位。ATPツアーでシングルス10勝を挙げた。身長193cm、体重86kg、右利き。
2005年度の男子テニス国別対抗戦・デビスカップで、同僚のマリオ・アンチッチとともに・デビスカップクロアチア代表を初優勝に導いた。マスターズ1000優勝1回準優勝3回、ATPワールドツアー・ファイナルに2度出場。
来歴
[編集]9歳からテニスを始め、13歳だった1992年の時にボスニア・ヘルツェゴビナを離れる。ジュニア時代には、1996年のウィンブルドン男子ジュニア部門で準優勝がある。1998年にプロ転向。1999年全米オープンで4大大会に初出場を果たす。2000年のシドニー五輪で、オリンピックのクロアチア代表選手として初出場を果たし、男子シングルスでグスタボ・クエルテンとの3回戦まで進出した。2004年のアテネ五輪で2度目の五輪代表選手になり、男子ダブルスでマリオ・アンチッチとペアを組んで銅メダルを獲得している。
2005年10月、リュビチッチはモゼール・オープンとエルステ・バンク・オープンで2週連続優勝を遂げ、ようやくテニスキャリアに弾みをつけた。同年末の12月2日から4日、デビスカップ2005決勝戦でクロアチアとスロバキアが対戦した。会場はスロバキアの首都ブラチスラヴァで行われたが、リュビチッチとマリオ・アンチッチのコンビが活躍し、「3勝2敗」でクロアチアにデ杯初優勝をもたらした。
リュビチッチはこれまで、4大大会では好成績に恵まれなかった。第7シードに選ばれた2006年全豪オープンでは、準々決勝でキプロスの新星マルコス・バグダティスに4-6, 2-6, 6-4, 6-3, 3-6のフルセットで敗れてしまう。バグダティスには前年の2005年全豪オープン2回戦で初対戦した時も敗れており、同じ大会で2年連続の苦杯をなめることになった。同年の全仏オープンでは第4シードに選ばれ、自己最高成績となるベスト4進出を果たしたが、初めての準決勝で大会前年優勝者のラファエル・ナダルに4-6, 2-6, 6-7のストレートで完敗した。2006年度は、チェンナイ・オープンとザグレブ・インドアで優勝があり、エルステ・バンク・オープンの連覇も含めて年間3勝を挙げた。
2007年1月、リュビチッチは年頭のカタール・エクソンモービル・オープン優勝でツアー通算7勝目を挙げたが、第4シードに選ばれた全豪オープンでは1回戦で2004年アテネ五輪の男子シングルス銀メダリスト、マーディ・フィッシュに敗れた。
2009年全米オープン男子ダブルスで6年ぶり2度目のベスト8進出があった。パートナーはミカエル・ロドラで、第4シードのマヘシュ・ブパシ/マーク・ノールズ組に4-6, 6-4, 6-7(4)で敗れた。11月の南フランス・オープンではミカエル・ロドラを7–5, 6–3で破り2007年6月のオーディナ・オープン以来2年半ぶりのツアー9勝目を挙げた。
2010年3月のBNPパリバ・オープンでは、準決勝でラファエル・ナダルを3-6, 6-4, 7-6で、決勝でアンディ・ロディックを7–6(3), 7–6(5)で破り初のマスターズ1000のタイトルを獲得。通算シングルス10勝目となりこの優勝が最後の優勝となった。
リュビチッチは2012年4月のモンテカルロ・マスターズ1回戦で、クロアチアの後輩のイワン・ドディグに0–6, 3–6で敗れた試合を最後に現役を引退した[1]。
リュビチッチは2013年から2015年までカナダのミロシュ・ラオニッチのコーチを務めていた。2016年よりロジャー・フェデラーのコーチに就任。
ATPツアー決勝進出結果
[編集]シングルス: 24回 (10勝14敗)
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結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 2001年10月8日 | リヨン | カーペット (室内) | ユーネス・エル・アイナウイ | 6-3, 6-2 |
準優勝 | 1. | 2004年1月12日 | ドーハ | ハード | ニコラ・エスクード | 3-6, 6-7(4-7) |
準優勝 | 2. | 2005年1月10日 | ドーハ | ハード | ロジャー・フェデラー | 3-6, 6-7(4-7) |
準優勝 | 3. | 2005年2月14日 | マルセイユ | ハード (室内) | ヨアキム・ヨハンソン | 5-7, 4-6 |
準優勝 | 4. | 2005年2月21日 | ロッテルダム | ハード (室内) | ロジャー・フェデラー | 7-5, 5-7, 6-7(5-7) |
準優勝 | 5. | 2005年2月28日 | ドバイ | ハード | ロジャー・フェデラー | 1-6, 7-6(8-6), 3-6 |
優勝 | 2. | 2005年10月9日 | メス | ハード (室内) | ガエル・モンフィス | 7-6(9-7), 6-0 |
優勝 | 3. | 2005年10月16日 | ウィーン | ハード (室内) | フアン・カルロス・フェレーロ | 6-2, 6-4, 7-6(7-5) |
準優勝 | 6. | 2005年10月24日 | マドリード | ハード (室内) | ラファエル・ナダル | 6-3, 6-2, 3-6, 4-6, 6-7(3-7) |
準優勝 | 7. | 2005年11月7日 | パリ | カーペット (室内) | トマーシュ・ベルディハ | 3-6, 4-6, 6-3, 6-4, 4-6 |
優勝 | 4. | 2006年1月8日 | チェンナイ | ハード | カルロス・モヤ | 7-6(8-6), 6-2 |
優勝 | 5. | 2006年2月5日 | ザグレブ | カーペット (室内) | ステファン・クベク | 6-3, 6-4 |
準優勝 | 8. | 2006年4月3日 | マイアミ | ハード | ロジャー・フェデラー | 6-7(5-7), 6-7(4-7), 6-7(6-8) |
準優勝 | 9. | 2006年10月2日 | バンコク | ハード (室内) | ジェームズ・ブレーク | 3-6, 1-6 |
優勝 | 6. | 2006年10月15日 | ウィーン | ハード (室内) | フェルナンド・ゴンサレス | 6-3, 6-4, 7-5 |
優勝 | 7. | 2007年1月6日 | ドーハ | ハード | アンディ・マリー | 6-4, 6-4 |
準優勝 | 10. | 2007年2月5日 | ザグレブ | カーペット (室内) | マルコス・バグダティス | 6-7(4-7), 6-4, 4-6 |
準優勝 | 11. | 2007年2月26日 | ロッテルダム | ハード (室内) | ミハイル・ユージニー | 2-6, 4-6 |
優勝 | 8. | 2007年6月17日 | スヘルトーヘンボス | 芝 | ペテル・ベッセル | 7-6(7-5), 4-6, 7-6(7-4) |
準優勝 | 12. | 2008年3月1日 | ザグレブ | ハード (室内) | セルジー・スタホフスキー | 5-7, 4-6 |
優勝 | 9. | 2009年11月1日 | リヨン | ハード (室内) | ミカエル・ロドラ | 7-5, 6-3 |
優勝 | 10. | 2010年3月21日 | インディアンウェルズ | ハード | アンディ・ロディック | 7-6(7-3), 7-6(7-5) |
準優勝 | 13. | 2010年10月31日 | モンペリエ | ハード (室内) | ガエル・モンフィス | 2-6, 7-5, 1-6 |
準優勝 | 14. | 2011年9月25日 | メス | ハード (室内) | ジョー=ウィルフリード・ツォンガ | 3-6, 7-6(7-4), 3-6 |
ダブルス: 4回 (0勝4敗)
[編集]結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2000年7月23日 | ウマグ | クレー | ロブロ・ゾフコ | アレックス・ロペス・モロン アルベルト・ポルタス |
1-6, 6-7(2-7) |
準優勝 | 2. | 2000年11月12日 | リヨン | カーペット (室内) | ジャック・ウェイト | ポール・ハーフース サンドン・ストール |
1-6, 7-6, 6-7(7-9) |
準優勝 | 3. | 2001年7月22日 | ウマグ | クレー | ロブロ・ゾフコ | セルヒオ・ロイトマン アンドレス・シュネイテル |
2-6, 5-7 |
準優勝 | 4. | 2004年10月17日 | メス | ハード (室内) |
ウロス・ヴィコ | アルノー・クレマン ニコラ・マユ |
2-6, 6-7(10-12) |
成績
[編集]4大大会シングルス
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 通算成績 |
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全豪オープン | LQ | LQ | A | 1R | 1R | 3R | 1R | 2R | 2R | QF | 1R | 1R | 2R | 3R | 3R | 1R | 13–13 |
全仏オープン | A | A | LQ | 1R | 1R | 1R | 3R | 2R | 1R | SF | 3R | 4R | 1R | 3R | 4R | A | 18–12 |
ウィンブルドン | A | A | A | 1R | 1R | 2R | 2R | 1R | 1R | 3R | 3R | 1R | A | 1R | 3R | A | 8–11 |
全米オープン | LQ | A | 2R | 1R | 2R | 2R | 2R | 1R | 3R | 1R | 3R | A | 1R | 1R | 2R | A | 9–12 |
大会最高成績
[編集]大会 | 成績 | 年 |
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ATPファイナルズ | RR | 2005, 2006 |
インディアンウェルズ | W | 2010 |
マイアミ | F | 2006 |
モンテカルロ | QF | 2006, 2009, 2011 |
マドリード | F | 2005 |
ローマ | QF | 2003 |
カナダ | 3R | 2006 |
シンシナティ | QF | 2001, 2006 |
上海 | QF | 2009 |
パリ | F | 2005 |
ハンブルク | SF | 2004 |
オリンピック | 3R | 2000, 2004 |
デビスカップ | W | 2005 |
脚注
[編集]- ^ “元世界3位リュビチッチが現役を引退◇モンテカルロ・マスターズ”. tennis365.net. (2012年4月16日)
外部リンク
[編集]- イワン・リュビチッチ - ATPツアーのプロフィール
- イワン・リュビチッチ - デビスカップのプロフィール
- イワン・リュビチッチ - 国際テニス連盟
- イワン・リュビチッチ (@theljubicic) - X(旧Twitter)