イワン・シュレーダー
イワン・シュレーダー Ива́н Шре́дер | |
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1889年のイワン・シュレーダー | |
生誕 |
1835年 ロシア、サンクトペテルブルク |
死没 |
1908年11月2日 ロシア、サンクトペテルブルク |
イワン・ニカラエヴィチ・シュレーダー(ロシア語: Ива́н Никола́евич Шре́дер、1835年—1908年[1])は、ロシアの彫刻家。ロシア帝国の各地に多数の記念碑を制作した。
経歴
[編集]1835年、ケーニヒスベルクの貴族の家庭に生まれる。父親はリャザン県の知事であった[1]。 貴族幼年学校(Пажеский корпус)で教育を受け、卒業後は近衛兵(Уланский Его Величества лейб-гвардии полк)となる。クリミア戦争(1853年- 1856年)ではセヴァストポリでの戦いにも加わったが、戦後、師であるピョートル・クロット(Peter Clodt、ペーター・クロット=フォン=ユルゲンスブルク)の勧めもあり彫刻家となることを決めた。シュレーダーはロシア帝国芸術アカデミーに入り、彫刻家ニコライ・ピメノフ(Пименов, Николай Степанович)の指導を受ける。またミハイル・ミケシンと共にロシア建国一千年祭記念碑像建立にも携わった。 1864年からは4年間南米に渡り、帰国直後の1869年A・I・キリエフスキー(А. И. Киреевский)の胸像で賞を受ける。 その後彫刻家として、ツァールスコエ・セローのエカチェリーナ2世像、サンクトペテルブルクのクルーゼンシュテルン提督像とオルデンブルク公子像、クロンシュタットのベリングスハウゼン提督像、ペトロザヴォーツクのピョートル大帝像、アレクサンドル2世像、キエフにボーブリンスキー伯爵像など数多くの像を制作した。この他、モスクワ、赤の広場にある国立歴史博物館には、コンスタンティン・フォン・カウフマン (Konstantin von Kaufman) とセヴァストポリの英雄たちの胸像が収蔵されている。セヴァストポリのパーヴェル・ナヒーモフ提督像では聖ウラジーミル勲章(Орден Святого Владимира)を受賞した[1]。
シュレーダー家の紋章は『ロシア帝国貴族の紋章集』第13巻169頁に収められている[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c Справочник «Художники». Шредер Иван Николаевич (1835—1908)
- ^ “ГЕРБ ЭРНЕСТА-ГОТЛИБА-ЮЛИУСА ШРЕДЕРА”. 2014年10月6日閲覧。
関連文献
[編集]- "Шредер, Иван Николаевич". ブロックハウス・エフロン百科事典: 全86巻(本編82巻と追加4巻) (ロシア語). サンクトペテルブルク. 1890–1907.
- Национальный архив Республики Карелия