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イリヤ・ワルシャフスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

イリヤ・ヨーシフォヴィチ・ワルシャフスキーロシア語:Илья Иосифович Варшавскийラテン翻字例:Ilya Iosifovich Varshavskiy1908年12月14日旧暦12月1日〉 - 1974年7月4日)はソビエト連邦SF作家ショートショートを得意とし[1]、1960年代中期に人気を博した[2]

略歴

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1908年12月14日、ロシア帝国時代のキーウで生まれた。若年期は役者を目指したが養成学校への受験に失敗。代わりにレニングラート(現サンクトペテルブルク)の海事学校へ入学し、商船の機械技師となる。1929年、ジャーナリストのニコライ・スレプニョフおよび兄のドミートリーと共同でルポルタージュ«Вокруг света без билета»(切符なしの世界一周)を書いた。戦前は技師として工場で働いた。子供の頃に負った怪我が理由で徴兵はされなかった。1941年アルタイ地方へ疎開し、1949年までそこに留まった。その後レニングラートに戻り、20年間は技師として働いた。

元来、SFファンであった[2]。SFを書き始めたのは息子との議論による、と本人は語っている[3]。SF第一作は1962年に発表された。彼はレニングラート青年空想小説作家セミナーの初代会長を務めた(その地位は1972年ボリス・ストルガツキーに引き継がれた)。

1974年、レニングラートで死亡。

作品

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最初のSF作品«Роби»(Robi) は1962年に雑誌«Наука и жизнь»(科学と生活)に掲載された。最初の本である«Молекулярное кафе» (分子喫茶店)[4] は1964年に刊行された。ワルシャフスキーが生涯で発表したのは、短編集5冊のみに留まる。作品の傾向はパロディ(「シャーロック・ホームズ秘話」、「ドブレ警部の最後の事件」など)、社会的な問題提起(「憂慮すべき兆候なし」など)、心理学の問題(「超心理学講義」など)、と多種多様である。デビュー時点ではドニェプロフの影響が、その直後ではスタニスワフ・レムの影響が窺えるが、『分子喫茶店』以降では独自の作風が形成されている[2]

批評家のエヴゲーニー・ブランジスウラジーミル・ドミトレフスキーは「ワルシャフスキーの作品群はテーマの扱いの鋭さ、機知、名台詞、そして何より職人的な創作態度によって心を打つ。」[5] と述べている。セルゲイ・スニェーゴフはワルシャフスキーの作品のテーマを、O・ヘンリーのそれになぞらえている。

現代の作家たちは『ドノマーガ』シリーズをサイバーパンクの先駆だと見なしている。[6][7].

日本への紹介

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1967年大光社「ソビエトS・F選集」の第五巻として、個人短編集『夕陽の国ドノマーガ』(草柳種雄編訳、18作を収録)が刊行されている。それ以外にまとまった翻訳はなされていないが、「SFマガジン」や各社の短編集に訳載された作品の合計は23編になる。[1]

作品リスト

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SFの短編集

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  • 1964 - Молекулярное кафе(分子喫茶店)
  • 1965 - Человек, который видел антимир(反世界を見た人間)
  • 1966 - Солнце заходит в Дономаге 『夕陽の国ドノマーガ』
  • 1970 - Лавка сновидений(夢のベンチ)
  • 1972 - Тревожных симптомов нет(憂慮すべき兆候なし)[8]

出典・脚注

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  1. ^ a b 天野護堂「戦後のロシア・ソヴィエトSF翻訳事情」(収録:『SFマガジン』1998年8月号)
  2. ^ a b c ダルコ・スーヴィン編『遥かな世界 果しなき海』(深見弾関口時正訳、早川書房、1979年)200ページ
  3. ^ Илья Варшавский: «В фантастике спрессованы горизонты будущего…» (ロシア語)
  4. ^ 表題作は「分子合成喫茶店」の題で日本語訳あり(外部リンク等参照)。
  5. ^ Е. Брандис, В. Дмитревский, предисловие к сборнику «Человек, который видел антимир» (ロシア語)
  6. ^ Мэри Шелли, Перси Шелли, «Дети стекольщика, или Бриллиантовый век без нас» (ロシア語)
  7. ^ Олег Дивов, «Наш гештальт в тумане светит» (ロシア語)
  8. ^ 表題作は「憂慮すべき兆候なし」として日本語訳あり(外部リンク等参照)。

外部リンク

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