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イリヤ・オストロウーホフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イリヤ・セミョーノヴィチ・オストロウーホフ
Илья Семёнович Остроухов
オストロウーホフの肖像画
生誕 (1858-07-20) 1858年7月20日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 モスクワ
死没 1929年7月8日(1929-07-08)(70歳没)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 モスクワ
墓地 ダニロフスコエ墓地
北緯55度42分14.5秒 東経37度36分32.7秒 / 北緯55.704028度 東経37.609083度 / 55.704028; 37.609083
国籍 ロシア
教育 モスクワ絵画・彫刻・建築学校
著名な実績 絵画
配偶者 ナデジュダ・ボトキナ
受賞 レジオンドヌール勲章
選出 美術アカデミー

イリヤ・セミョーノヴィチ・オストロウーホフ: Илья Семёнович Остроухов, : Ilya Semyonovich Ostroukhov1858年7月20日 - 1929年7月8日)は、ロシアの画家、美術品収集家、舞台美術家である[1][2][3][4]風景画肖像画を描いた[2]

経歴・人物

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モスクワの製粉業を営む家に生まれたオストロウーホフは、幼い頃には児童書を収集しており、青年時代には、自然科学に関心をもち、鳥の巣や卵などを収集していた[1][5]。1873年、モスクワの商学実務アカデミーを卒業する[6][7]。またモスクワ絵画・彫刻・建築学校英語版に学んでいる[2]

オストロウーホフは、1886年に開催された移動美術展覧会で画家としてデビューした[5]。画家になってからは、アブラムツェボ (en:Abramtsevo Colony) で活動していたイリヤ・レーピンヴァシーリー・ポレーノフらによって描かれた素描や下絵を収集していた[5]。オストロウーホフが収集したコレクションを芸術家別に見ると、レーピンによる作品が最も大きなシェアを占めている[5]

オストロウーホフが手がけた作品のうち “Сиверко”(: The Siverko)などが、1887年、1888年および1890年に美術品収集家のパーヴェル・トレチャコフによって買い上げられている[5][8]。1889年夏、モスクワの茶商人の家系であるボトキン家の娘、ナデジュダ・ボトキナ(: Надежде Боткиной, : Nadezhda Botkina)と結婚する[9][5]。その後、現在のウクライナハルキウの付近に所在した製糖工場の経営者に就任し、安定的な財力を手に入れた[5]

1898年にトレチャコフが死去してから15年ほどの間に、オストロウーホフはトレチャコフ美術館の理事会に何度か選ばれている[5]。1900年には、パリ万国博覧会のロシア美術部門の主催者を務めた他、レジオンドヌール勲章を受章している[10]。1900年代になると、オストロウーホフはセルゲイ・ディアギレフの他、美術雑誌『芸術世界』に関係していた画家らと親交を深めるようになった[5]。1904年からは、トレチャコフ美術館の理事会の議長を務め、コレクションに追加する新しい品目を買いそろえることに従事している[5]

1906年には、美術アカデミーの正会員に選ばれている[9][1]。1912年と1914年にオストロウーホフは、ヴォログダノヴゴロドの他、トヴェリプスコフヤロスラヴリなどを旅して回っている[5]。1929年、モスクワで死去する[1]。遺体は、ダニロフスコエ墓地ロシア語版に埋葬されている[11]

作品

[編集]

脚注

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  1. ^ a b c d Остроухов Илья Семенович”. 近代西洋美術館. 2020年5月2日閲覧。
  2. ^ a b c Ilya Semenovich Ostroukhov”. RKD – Netherlands Institute for Art History. 2020年5月2日閲覧。
  3. ^ 国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック・ロシア”. 愛媛県美術館. 2020年5月2日閲覧。
  4. ^ a b Ранней весной. 1887”. トレチャコフ美術館. 2020年5月2日閲覧。
    In Early Spring. 1887”. トレチャコフ美術館. 2020年5月2日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l Ilya Ostroukhov - Moscow artist and collector”. The Tretyakov Gallery Magazine. 2020年5月2日閲覧。
    Илья Остроухов”. The Tretyakov Gallery Magazine. 2020年5月2日閲覧。
  6. ^ ОСТРОУХОВ ИЛЬЯ СЕМЁНОВИЧ”. Энциклопедия Всемирная история. 2020年5月2日閲覧。
  7. ^ И.С.ОСТРОУХОВ”. Cultobzor.ru. 2020年5月2日閲覧。
  8. ^ Илья Остроухов – московский художник и собиратель”. The Tretyakov Gallery Magazine. 2020年5月2日閲覧。
  9. ^ a b Остроухов, Илья Семенович”. Российский общеобразовательный портал. 2020年5月2日閲覧。
  10. ^ “Серый кардинал. Кто на самом деле решал судьбу русской живописи”. Forbes. (2020年3月9日). https://www.forbes.ru/forbeslife/394495-seryy-kardinal-kto-na-samom-dele-reshal-sudbu-russkoy-zhivopisi 2020年5月2日閲覧。 
  11. ^ Остроухов Илья Семёнович(Ostrouhov Ilya)”. Студия И. 2020年5月2日閲覧。
  12. ^ “ロシア人画家による秋の風景画10点”. ロシア・ビヨンド. (2014年9月24日). https://jp.rbth.com/multimedia/pictures/2014/09/24/10_50307 2020年5月2日閲覧。 
  13. ^ 国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック・ロシア”. インターネットミュージアム. 2020年5月2日閲覧。
  14. ^ В абрамцевском парке”. Журнал «Третьяковская галерея». 2020年5月2日閲覧。
    In the Park at Abramtsevo”. Журнал «Третьяковская галерея». 2020年5月2日閲覧。
  15. ^ Речка в полдень (Купавы на пруду). 1892. Пермская картинная галерея”. Российский общеобразовательный портал. 2020年5月2日閲覧。

外部リンク

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