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イペキ・シェノール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イペキ・シェノール
İpek Şenoğlu
基本情報
愛称 イペコ (イポス)
国籍 トルコの旗 トルコ
出身地 同・エスキシェヒール
居住地 同・イスタンブール
生年月日 (1979-06-08) 1979年6月8日(45歳)
身長 180cm
体重 70kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1999年
引退年 2012年
ツアー通算 0勝
シングルス 0勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 397勝161敗
シングルス 143勝140敗
ダブルス 254勝201敗
生涯獲得賞金 $261,244
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2005)
全仏 1回戦(2009-11)
全英 3回戦(2009)
全米 3回戦(2004)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 293位(2004年7月5日)
ダブルス 53位(2009年10月19日)

イペキ・シェノールİpek Şenoğlu, 1979年6月8日 - )は、トルコエスキシェヒール出身の女子プロテニス選手。彼女はトルコ人選手初の4大大会出場・WTAツアーダブルスランキング100位以内突破などの業績を持っている。キャリアを通じてシングルスよりもダブルスを得意にしており、4大大会でもシングルスの出場はない。単複共にツアー優勝はないが、ダブルスで準優勝が1度ある。自己最高ランキングはシングルス293位、ダブルス53位。

来歴

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シェノールは4歳からテニスを始め、1994年に15歳でトーナメントに初出場した。17歳の時、1996年に初めて女子テニス国別対抗戦・フェドカップのトルコ代表選手に選ばれる。最初はトルコ国内の小規模なトーナメントを回り、2001年から国外の試合に挑戦を始めた。2002年6月、ウズベキスタン開催の大会でWTAツアーの予選会に初出場する。2004年全米オープンで、シェノールはローラ・グランビルアメリカ)と組んで女子ダブルスに出場し、トルコ人選手として最初の4大大会出場者になった。この大会では3回戦まで勝ち進み、第1シードのビルヒニア・ルアノ・パスクアルスペイン)&パオラ・スアレスアルゼンチン)組に 2-6, 4-6 で敗れた。それから2005年全豪オープンにも出場し、女子ダブルス2回戦まで進出した。その後故障に悩み、5月から11月まで半年間の戦線離脱を経験している。

それから3年後の2008年4月、シェノールは「エストリル・オープン」にて、初めてWTAツアー大会のダブルス決勝に進出した。パートナーはメルバナ・ユギッチ=サルキッチボスニア・ヘルツェゴビナ)で、敗れた相手は第1シードのマリア・キリレンコロシア)&フラビア・ペンネッタイタリア)組であった。この準優勝を契機に、彼女はダブルスで再浮上のチャンスを得た。6月のウィンブルドンから、このトルコ人女性の姿が4大大会女子ダブルスに戻ってくる。シェノールはトルコ出身の選手として最初のウィンブルドン出場者になり、メリンダ・ツィンクハンガリー)と組んで女子ダブルスの予選会に足を踏み入れたが、ここでは予選1回戦敗退に終わった。それから全米オープンで、4年ぶり2度目の全米女子ダブルスに出場した。

30歳を迎えた2009年、イペキ・シェノールは年頭からWTAツアー大会でダブルスのフルシーズンを送れるようになった。5月のBNLイタリア国際ではヤロスラワ・シュウェドワカザフスタン)とペアを組み、WTAプレミアトーナメント(グランドスラム大会に続く高額賞金大会群)の準決勝に進出した。それから全仏オープン女子ダブルスでヤニナ・ウィックマイヤーベルギー)と組み、トルコ人選手として最初の全仏オープン出場を果たす。続くウィンブルドンで、セノグルはカイア・カネピエストニア)と組み、2004年全米オープン以来の3回戦進出を決めた。3回戦では第12シードのアンナ=レナ・グローネフェルトドイツ)&バニア・キングアメリカ)組に 3-6, 3-6 で敗れた。

シェノールは2012年4月にベルギーの下部大会に出場したのを最後に公式試合から遠ざかっている。

WTAツアー決勝進出結果

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ダブルス: 1回 (0勝1敗)

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結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2008年4月19日 ポルトガルの旗 エストリル クレー ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 メルバナ・ユギッチ=サルキッチ ロシアの旗 マリア・キリレンコ
イタリアの旗 フラビア・ペンネッタ
4–6, 4–6

外部リンク

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