イッサ・ハヤトウ
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2015年のハヤトウ | |
役職 |
アフリカサッカー連盟会長 (1988年3月10日 - 2017年3月16日) |
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兼務 |
国際サッカー連盟副会長 (1992年7月3日 - 2017年3月16日) |
基本情報 | |
国籍 | カメルーン |
生年月日 | 1946年8月9日 |
没年月日 | 2024年8月8日(77歳没) |
出身地 | フランス領カメルーン・ガルア |
死没地 | フランスパリ |
キャリア情報 | |
ドラフト | -- |
代表歴 | |
キャップ | 1964年 - 1965年 |
イッサ・ハヤトウ(フランス語: Issa Hayatou、1946年8月9日 - 2024年8月8日)は、カメルーンの元陸上・バスケットボール選手。元アフリカサッカー連盟(CAF)会長であり、国際サッカー連盟(FIFA)副会長でもあった。
経歴
[編集]フランス領カメルーンのガルア出身。かつては1965年のブラザヴィルアフリカ大会のバスケットボール代表や、陸上競技の400mと800mで国内記録を保持していた[1]。
1984年ロサンゼルスオリンピックでは選手ではなく役員という形ではあるが、同大会に出場したサッカーカメルーン代表の統括者として選手団の一員に加わり、開会式では旗手を務めた。
1974年にカメルーンサッカー連盟の事務総長を務め、1988年には第6代CAF会長に就任。現在に至っている。CAF会長に就任した1988年以降にはユース世代のサッカー大会、フットサル、女子サッカー、ビーチサッカーの大会を創設するなど大きく貢献した[2][3]。
1990年にはFIFA理事に就任。1992年からは同副会長。2002年にソウルで開催された国際サッカー連盟総会での会長選挙に出馬したが、ゼップ・ブラッターの139票に対しハヤトウは56票で落選した[4]。
1990年代のFIFAワールドカップの放映権をめぐるISLからの賄賂疑惑で、2011年12月、IOCから戒告処分を受けた。2015年10月から2016年2月の臨時総会にて会長が決まるまではブラッターに代わってFIFA暫定会長を務めていた[5]。2017年3月のCAF会長選挙でアフマド・アフマドに敗北した[6]。
脚注
[編集]- ^ Issa Hayatou: Les 50 personnalités qui font le Cameroun. Jeune Afrique 28 April 2009
- ^ Hayatou's actions in developing African football. Tiego Tiemtore. PANA Press. 2006.
- ^ Issa Hayatou : Mes 20 ans à la Caf. Missi Bikoun, Mutations (Youande), 10 March 2008.
- ^ Alan Tomlinson. Lord, Don't Stop the Carnival: Trinidad and Tobago at the 2006 FIFA World Cup. Journal of Sport & Social Issues, Vol. 31, No. 3, 259–282 (2007)
- ^ “Issa Hayatou to be acting Fifa president following suspension of Sepp Blatter”. The Guardian (8 October 2015). 10 October 2015閲覧。
- ^ “Madagascar FA chief Ahmad elected as new Caf president”. BBC Sport. (2017年3月16日) 2024年8月9日閲覧。
- ^ “African Football Icon Issa Hayatou Passes Away in Paris at 77” (英語). Cameroon Concord-In the Heart of Cameroon's News Pulse (2024年8月8日). 2024年8月9日閲覧。
- ^ ハヤトウ氏が77歳で死去、長くFIFA副会長務める 15年汚職問題で会長職務を代行