イチ・タウィ
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ỉmn-m-ḥ3t ỉṯỉ t3wy | |||||||||
所在地 | エジプト, ファイユーム県 | ||||||||
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座標 | 北緯29度34分13秒 東経31度13分52秒 / 北緯29.57028度 東経31.23111度座標: 北緯29度34分13秒 東経31度13分52秒 / 北緯29.57028度 東経31.23111度 |
イチ・タウィ(英語:Itjtawy、エジプト語での全文:Amenemhat-itj-tawy、意味:アメンエムハト、2つの土地の支配者)は、古代エジプト第12王朝(紀元前1991年頃 - 紀元前1782年頃)の初代ファラオであるアメンエムハト1世によって建設された王都である[1]。イチタウイとも表現される[2]。
放棄された後、正確な場所は未だ不明だが、所在の候補地は技術の発展で見つかっている[3]。
名称
[編集]ヒエログリフでの、正式名称と後に短く改名された名前。
- 正式名称
- ỉmn-m-ḥ3t ỉṯỉ t3wy(英:Amenemhat-ity-tawy)
- 改名後
ỉṯỉ t3wy(英:ity-tawy)
出典
[編集]- ^ Arnold, Dorothea (1991). “Amenemhat I and the Early Twelfth Dynasty at Thebes”. Metropolitan Museum Journal (The Metropolitan Museum of Art) 26: 5–48. doi:10.2307/1512902. JSTOR 1512902 .
- ^ エジプト中王国の大規模墓地を発掘、墓800基(ナショナルジオグラフィック)
- ^ 古代エジプトの船の墓場を発掘、壁に120隻の絵(ナショナルジオグラフィック)