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イザベル・ド・ヴィルアルドゥアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イザベル・ド・ヴィルアルドゥアン
Isabelle de Villehardouin
アカイア女公
イザベル・ド・ヴィルアルドゥアンのシール
在位 1289年 - 1307年

出生 1260/3年
死去 1312年1月21日
配偶者 フィリップ・ダンジュー
  フロラン・ド・エノー
  フィリップ・ド・サヴォワ
子女 マオー・ド・エノー
マルグリット・ド・サヴォワ
家名 ヴィルアルドゥアン家
父親 ギヨーム2世
母親 アンナ・コムネナ・ドゥカイナ
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イザベル・ド・ヴィルアルドゥアン: Isabelle de Villehardouin, 1260/3年頃 - 1312年1月21日)は、アカイア公国の第4代君主ギヨーム2世・ド・ヴィルアルドゥアンの長女、公位継承者・共同統治者(1289年 - 1307年)。男子継承者のいなかった父ギヨーム2世にとって、イザベルはその系譜を継ぐ重要な後継者であった。イザベルは精力的な女性として父の意志を継ぎ、アカイア公国の存続に尽力した。

生涯

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イザベルは父ギヨーム2世がシチリア王シャルル1世・ダンジューと締結したヴィテルボ協定(1267年)に基づき1271年5月28日イタリアトラーニにてシャルルの息子フィリップ(イタリア名フィリッポ)と結婚した。しかし夫フィリップは1277年、まだイザベルの父ギヨーム2世も義父シャルル1世も存命中に死去し、2人には子供がいなかった。このため、翌1278年のギヨームの死後、ヴィテルボ協定に基づいてシャルル1世がアカイア公位に就いた。シャルルの死(1285年)の後はフィリップの兄シャルル(カルロ)2世が継いだ。

イザベルはアカイア公位をヴィルアルドゥアン家に取り戻すべく、1289年9月16日ラテン帝国継承者の近親フロラン・ド・エノー(エノー伯ジャン1世の子)と再婚する。シャルル2世はこの結婚によるイザベル・フロラン夫妻のアカイア公位請求権を認め、両名に譲った。両者はシャルルに忠誠を誓い、その臣下として共同統治を開始した。

フロランは1297年に死去し、イザベルは新たな共治者を求めて1301年2月12日フィリップ・ド・サヴォワと3度目の結婚に踏み切った。しかしシャルル2世はこの共同統治に難色を示し、1306年6月5日にフィリップを廃して自分の息子ターラント公フィリッポ1世をアカイア公位に据えた。イザベルは翌1307年、前夫フロランの生家のあるエノー伯領(現ベルギー)へと移住した。

イザベルは1312年1月21日1311年中に死去していたとする説もある)に死去し、ヴィルアルドゥアン家は事実上断絶した。しかし、なお娘マオー・ド・エノーがアカイア公位請求権を維持して政治活動を継続する事となった。

家族

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第1の夫フィリップ・ダンジュー(Philippe d'Anjou, 1277年没) - ナポリ・シチリア王シャルル1世・ダンジューの息子。1271年5月28日に結婚。子供はなし。

第2の夫フロラン・ド・エノー(Florent de Hainaut, 1255年 - 1297年1月23日) - エノー伯ジャン1世の末子。ラテン帝国皇室の血縁者でボードゥアン1世の曾孫にあたる。1289年12月16日結婚。1女が生まれた。

第3の夫ピエモンテ領主フィリップ・ド・サヴォワ(Philippe de Savoie, 1278年 - 1334年9月25日) - サヴォワ伯家出身。1301年2月12日結婚。1女が生まれた。

  • マルグリット・ド・サヴォワ(Marguerite de Savoie, 1306年 - 1376年) - 1324年にルノー・ド・フォレ(1371年没、フォレ伯ジャン1世の子)と結婚
先代
シャルル2世・ダンジュー
アカイア女公
フロラン・ド・エノー
フィリップ・ド・サヴォワと共治
1289年 - 1307年
次代
フィリッポ1世